日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

全然かっこよくないアーティスト

“いじめ自慢” 小山田圭吾 まだ抱える「爆弾」 政界からは自らケジメ求める声(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

 

ものすごいことになってます。

しかし、これはものすごいことになって当たり前です。

 

私はこの記事をリアルタイムで読みました。

そして、その日から1秒もこの人の音楽を聞いていません。

私には到底受け入れがたい。

 

はっきりいいますが、私は「以前悪さをしていた」ということを半分笑いのように語る有名人は、この人に限らず嫌いです。

もとヤンキーとか暴走族とか。

 

人を傷つけ、社会に迷惑をかけ、法を犯していることが、時間が経って法律的に許されることはわかりますが、ネタのように話す内容ではありません。

そこには被害者がいます。

法律的には時効だったり、裁かれてさえいなかったりしても、被害者に対しては「申し訳ない」という気持ちを持ち続けるべきでしょう。

バラエティー番組でネタにされるようなことでは決してありません。

 

一方、そういった過去を持つ人の存在否定はしません。

私は個人的に小山田氏は大嫌いですが、今から逮捕しろとも思わないし、謝罪しろ、とも思いません。

捉え方はそれぞれでしょうか、本人が反省し、その罪滅ぼしとして音楽を通じ社会貢献していく、という生き方はあって良いと思います。

 

私は聞きませんけど。

 

結果、そこにファンが付き、そこに感動が生まれることは否定しません。

 

私は聞きませんけど。

 

オリンピックに関わるのは私はNGだと考えます。

音楽活動するのは自身の勝手。

好きな人だけが聞けば良い。

でも、オリンピックは日本、世界の祭典です。

自身の勝手な活動とは違う。

どう贔屓目に見たってふさわしくない。

 

そういった意味では、この人を選んだ側は一体どんな基準で選んだんだ、と問いたいですね。

音楽の才能さえあれば、オリンピックの趣旨から大きく外れた人間性の持ち主でもOK、ということなんですか?

 

 

私は音楽業界にいます。

音楽は、社会に対する反発が題材になることも多い。

私はそのスタンスには賛成で、メディアで評論家が色々述べるよりも効果的な批判になりえます。

 

ただそこに違法や暴力があったらすべて終わりです。

自分の主義主張のためなら法律も犯してよい、暴力もいとわない。

これのどこがかっこいいんですか?

 

かのインタビューを掲載した出版社もそうですが、そういった悪さをかっこよさと思わせるような空気を音楽業界そのものが作った側面はあります。

 

法律まで犯さなくても、言葉遣いや礼儀、時間を守ることなど、優等生的であればあるほど、逆にアーティストっぽくない、という価値観。

まわりめぐって、それは偏見だし差別です。

そういったことをなくしたいと訴えるミュージシャンがたくさんいるのに、自ら偏見や差別を助長していることに気づくべきです。

 

もっとも、むかしに比べたら、いわゆる破天荒なアーティストは減りました。

で、音楽の質は下がったのでしょうか?

 

※追記

 

これが投稿された少しあとで、小山田氏の辞任が決定しました。

それで良かったと思います。