風邪をひいてしまった。
熱はさほど上がっていないので、仕事には特に影響がないが、喉が炎症を起こして、声がガラガラだ。
電話では、先方に話がなかなか伝わらない。
風邪に限らず、怪我や病気をすると、普段の健康な状態がいかに素晴らしいかを実感する。
今は声がうまく出せないので、数日後に声がしっかり出せた時は、しっかりと声が出せることに嬉しさを感じるだろう。
感謝すべき、的な文言
こういう話は、普段からよく聞く。
- 中東の紛争地域にいる人は、今日も休まることのない毎日を過ごしている。それに比べると、日本は不景気とはいえ安全だ。それにもっと感謝すべきだ。
- 世界で、水道水を飲料水として使って良い国は20カ国にも満たない。水が安全に飲めることに感謝しよう。
- 昔はインターネットなんかなかったので、何かを調べるときは、なけなしのお金を払って本を買い、勉強したものだ。それに比べると今は手元のスマートフォンに世界中の情報が届く。そこにもっと感謝すべきだ。
などなど、小学生のころからよく聞く文言。
これらをいう人は、本当にそんなことに感謝しながら生きているのだろうか。
時々、ブログやSNSで「今日も素晴らしい一日に感謝」みたいなことを書く人もいるが、それって本当に心からそう思えているのだろうか。
毎日感謝なんかできない
正直に言ってしまうと、そういうことに毎日感謝しながら生きていくことなんか、自分には到底ムリだ。
確かに、大きな怪我をし、長い長いリハビリを経て、もとの健康な体を取り戻したひとなんかは、その感謝も長く続くかもしれない。
しかし、自分はそんな経験がないし、そういった経験がある人だって、一生それに感謝し続けることなんて無理ではないだろうか。
毎日、普通に生きていくのに、理由はいらない
だとすれば、どうすればよいか。
自分の考えでは、毎日を普通に生きるだけで良いと思う。
紛争がいま現在あっている国に比べて、とか、水道水が飲めない国に比べて、とか、昔に比べて、とか理由なんか考えなくても良いと思うのだ。
今日も一日仕事だな。
水道水を飲んで、おいしいと思う。
ネットでググれば何でも調べられるな。
こういったことを、単純に感じるだけで良いと思うのだ。
それらは、実は相当に幸せなことなんだぞ、なんて言われても結構困ってしまう。
幸せからくる感謝は、比較論
ドバイという国がある。
とにかくお金が沢山ある国だ。
だから、この国は教育費、交通費、光熱費などすべて国が負担してくれる。
しかし、この国の人達は生まれた時からその環境にいるので、それらに対する感謝は、他国のひとが思うほどではないらしいが、そんなの当たり前だ。
日本人は水と安全が無料だと思っているのと同じだ。
日々、愚直に生活するだけで良い。
今日も幸せな一日に感謝、なんて言うと、天邪鬼な自分は、えらく反発したくなる。