不景気が続いているので、企業も個人も財布の紐がかたい。
100円ショップやドン・キホーテなどのディスカウントショップが流行るのもうなずける。
しかし、お金を払うべきときに払わなくても良い、といった雰囲気がで気上がっている時もあるので、注意が必要だ。
まわりくどい、言い方だが、要するに「かたちのないもの」に対する支払いに関して。
有料になりやすいものと無料になりやすいもの
かたちがあるものは、お金を払うことに違和感は全く無いだろう。
むしろ、無料だと怪しいくらいだ。
飲食店に行って、「本日お食事無料です」というのは見たことがない。
いくら安くても完全無料はないと思う。
(何かを頼んだら、サービスで1個無料、というのは、つまり2個での金額を割り引いているだけだ)
では、音楽はどうだろうか。
これは結構ある。
無料ライブもあるし、無料で聴くことができる音楽も、ネット上には溢れている。
同じ芸術分野でも、絵画はどうだろうか?
これは有料だ。絵画無料というのもこれまた聞いたことがない。
では、情報は?
これは無料のものもたくさんある。
TVの地上波は無料だし、インターネットの検索も無料だ。
有料になりやすいものと、無料になりやすいものの違い、それは、売るのが「モノ」として存在しているかどうかだろう。
食事や絵画はモノがある。
音楽や情報はモノがない。
不景気な現代においては、無料になりやすいものは、ほとんど無料になってしまうのが現実だ。
しかし、これは全く納得がいかない。
お金を払う対象は?
そもそも、お金はなぜ払うのか。
それは、大雑把にいうと「満足」を得るためだ。
食事は、空腹を満たす為にお金を払うのであって、そのモノ自体に発生する原価の支払いを代行しているわけではない。
そんなこと言い始めると、絵画は紙代と絵かき道具代プラスαを払っているということになってしまうが、まさか絵画を購入するときに、紙代や絵かき道具代の足しに、といって払う人はいないだろう。
だとすれば、音楽も情報も、そこにはお金が発生して当たり前だ。
なぜ突然こんな話になったかというと、自分が音楽関連だ、と言ってたまたまそこにピアノでもあろうもんなら、「じゃあ1曲なにか弾いてよ」となることが結構多いから。
これを別の職業に当てはめてみると、飲食店のオーナーシェフである知り合いに「店に行くから、なんか作ってよ」というのと同じだ。
そして、なぜか前者は無料、後者は有料だ。
身の回りにあるものの中で、本当は有料のはずなのに、無料で頼んでしまっているものがないか、今一度確認してもらいたい。