小学生の頃、なぜかシャープペンシルは使用禁止だった。
シャープペンシルだけでなく、ロケット鉛筆も禁止だった。
(ロケット鉛筆を知らない人は、無視してください)
当時から理屈っぽいことが好きな上に、いわゆる「なんでなんで小学生」だったので、
「なんでシャープペンシルは使ってはいけないの?」
と先生に尋ねた。
返って来た答えは、
「それは、先生よりも字がうまくなったら教えてあげよう」
と言われて、すかさず
「答えになってません。教えてください」
と食ってかかった。
結局は濁されたままだ。
幼いころ、
「おとなになれば分かる」とか「いずれ分かる日が来る」とか言われたことで、実際に納得したことって、実はほとんどない。
なぜこんなことを言うか、理由は二つ考えられる。
一つは、経験を積まないと分からないこと、大人にならないと分からないこと、と最初から決めつけている場合。
この場合、分かるか分からないかは大人が決めることではない。とりあえず伝えてみて、分からなかったら分からなかったで良いではないだろうか。
一つは、実はそこに特に内容が無い場合。
上記例はこれにあたると思う。つまり、「シャープペンシルを使ってはいけない理由」なんて、そもそもないのだ。あったとしても、自分が質問をした先生はその理由を知らないのだ。
内容が納得いかなくても、ルールを守ることは大切だ。だとしたら、上記の自分からの質問には、
「実は先生もわからないんだよね。でもこの学校はそういうルールになってるみたいなんで、ルールは守ろう。
ルールを守る中で、なぜシャープペンシルを使うのがダメなのかを考えるのはとてもよいことなので、一緒に考えてみようか」
くらいは答えてほしいものだ。
子供の理解力を下げているのは大人ではないだろうか。
子供には、こんなに難しいことわかるかな、、と思うくらいのことをどんどん教えるくらいで調度良いと思う。すると、子供は悩む。
悩みにも色々あるが、その全てがマイナスではなく、むしろプラス面の方が多いと思う。
その悩みが「興味を持つ」ということに転換することだって充分にありえる。
そもそも、悩むのは、「考える事」の一形態だ。
考える事の大切さはいうまでもない。
同時に、大人も分からないことは分からないとはっきり言うことが大切だ。分かったふりをして、濁した返答しかしなかった大人たちは、きっと子供から見透かされる。そのくらい子供は敏感だ。
自分の子供時代を振り返るとそう思いませんか?