子供が小さいと、口にするモノをはじめとして、色々なものに気を使う。
タバコの煙もそうだし、電子機器類の影響、最近ならば放射線の影響も気になる人も多いだろう。
気を使いすぎるのも、考えものだ
まず、カラダに良い、悪いとは、どういった基準で判断するのか、ということになる。
いわゆる「健康」ということだろうが、では健康とは一体どういう定義なのか。
体や心がすこやかで,悪いところのないこと(さま)。医学では単に病気や虚弱でないというだけでなく,肉体的精神的社会的に調和のとれた良い状態にあることをいう。
辞書から引用すると、こういうことらしい。
体や心と書いてある。
体がすこやか、とは
体がすこやか、というのは病気でないということだろう。
しかし、極論になるかもしれないが、人間にかぎらず生物の死亡率は100%だ。
生まれた瞬間に死に向かってまっしぐら。
つまり、死が訪れることは前提としており、それまでの
・時間(長い方が良い)
・状態(病気でない方が良い)
の二つが、体がすこやか、を決める要素となる。
だとすれば、健康に悪い「と言われている」食べ物を食べても、元気に長生きすれば、それは、つまるところ健康と呼んで良い。
逆に、健康志向食品を食べ続けても、短命だと、健康とは呼べない。
心がすこやか、とは
以前にも投稿したと思うが、タバコは統計上、やはりカラダにはよくないらしい。
しかし、それを生きがいに生きている人もたくさんいる。
80歳くらいのおじいさんが笑顔でタバコを吸いながら亡くなっていったとしたら、それは健康と呼べる精神状況ではないだろうか。
逆に、カラダに悪いといってタバコをやめさせた場合、体だけは健康になっても、心は健康になってない。
つまり、健康要素の半分が失われている。
健康志向すぎるのはかえってよくない
話が若干それたが、最近は健康の為にいろいろなものを我慢しすぎる人が増えたような印象を受ける。
また、それを我慢することが素晴らしいことのような風潮も見受けられる。
実際に、本屋には健康関連の書籍が平積みされている。
需要があるということなのだろう。
しかし、日本で生まれたひとのほとんどは日本で相当の時間を過ごしていくと考えた時に、子供だからといって、あまりに「クリーン」な環境つくり(食もその他も含めて)をしすぎるのは、いかがなものかと思う。
人間の体は、それなりに環境に適応できるようになっている。
世界中、気候、文化、その他かなり違うはずなのに、自然寿命に大きく差が無いのは、生まれた場所でそれなりに適応できるカラダに育つからではないだろうか。
ロシアでは、生まれて半年くらいの赤ちゃんを、冬の湖に裸で浸すという育児方法があるらしい。母親も一緒に入る。
こんなことしたら、心臓麻痺が起きるではないか、と心配だが、その後寒い地域で生活していく人のカラダつくりには必要なことなのかもしれない。
実際に、ロシア人の知り合いが何人かいるが、明らかに寒さに強い(そして暑さに弱い・・・)
カラダに悪いものもたくさん溢れかえっている日本。
この国で生きていく為には、それをも受け止めていくしかない。
清濁併せのむという言葉通りだ。