男女間の問題は、いまだにナーバスだ。
日本は、雇用に関していまだその差別が比較的大きく、出産という避けられない理由もあって、女性に不利なものとなっていることは事実だろう。
自分の周りにすら、「女は使えない」という一般論を振りかざす輩がいる。
当然だが、男性と女性は違ういきものだ。見た目も中身もあらゆるところで違う。これを全く同じように扱うのは、そもそも無理な話だ。
しかし、そのラインは決して男女だけではないはずだ。男性の中にも色々な見た目、中身の人がいるし、女性もしかり。その様々な区別の仕方の中に、男女という区別の仕方「も」あるというだけだ。
つまり、「同じ人間なんだから」ではなく、「みんな違う人間なんだから」のほうが正しいと思う。
しかしながら、人はこの世界で共存していかなくてはならない。それはつまり、その違いを受け入れつつ社会を形成していくということにほかならない。
先天的な病気で苦しんでいる人もいるし、家庭環境が劣悪な人もいる。そういう人が「いる」というのを受け入れてこそ、次のステップだ。
つまり、ありふれた言い方だが、助け合い、譲り合いだろう。
駐車場にある身障者用優先、専用のスペース。
あれを「差別」と見る人は、心が荒んでいると思う。あれは「区別」だ。社会的弱者がいるものと認め、助け合いをしているという意味だ。
区別を差別と勘違いしているのもよく聞く。
相撲は女人禁制だが、これを差別と言う人もいるらしい。
違う。これは区別だ。
これを言い出したら、体力テストに合格したものでないとプロになれないというスポーツ業界は、体力差別をしている、なんていうおかしなことになる。
それに、映画館のレディースデイ、女性専用車両、宝塚、女子校などは、どう考えるのか。
何から何まで差別だと叫ぶのは、しっかりとした区別をしてくための弊害にしかならない。