今日は、田舎にやってきた。
知り合いが田舎に家を持っており、そこの庭でバーベキューをするとのことで、そのパーティーに誘われたのだ。
最高のバーベキューを堪能する
気温は絶妙に良く、暑くもなく寒くもなかった。
雨も降らなかったし、風も吹いていないし、気候に関しては言うことなしだ。
加えて、パーティーの内容もとても良かった。
安く仕入れた肉らしいが、雰囲気がすべてを吸収する。
自分は酒を飲まないが、ノンアルコールビールは大好きで、そのノンアルコールビールですら普段より美味しく感じられた。
集まっている人もとても良い。
音楽をやっているものは、こういう時に必ず何か一曲、となるが、今日も例外ではない。
しかし、楽しい仲間と最高の気候の中で断るわけもなく、一曲と言わず10曲位は演奏した。
なぜか無愛想、不機嫌
さて、このように良いことづくめだったのだが、1つだけ残念なことが。
それは、最寄りの駅から家までの途中。
少し道に迷い、スマホを使って調べても良かったのだが、人に道を尋ねるのも悪くないと思い、通りかかった民家の庭で洗濯物をしていた人に道を尋ねる。
すると、なぜか完全に無視。
仕方なく次の民家の人に尋ねる。
わからないとの答えだったが、それがどう考えても無愛想かつ不機嫌。
結局スマホで調べてたどり着いた。
都会にも、田舎にも、ネットにも様々な人がいる
都会のことやスマホのことを批判する意見の中には、人のつながりが薄くなる、ということがある。
それはある意味あるのかもしれない。
しかし、都会やスマホ、もといインターネットの仮想空間で出来上がるコミュニティもまた、その本人を投影している。
類は友を呼ぶと思うのだ。
こういった記事を書き、ある意味真面目に批判や批評をすることはあっても、子供の口論のような「バカ、死ね」といった言葉は、使わないように気をつけている。
そういった言葉を使って投稿した記事には、同じ類の言葉を使ったコメントがたくさん寄せられているのをよく見るからだ。
そういったやりとりから学ぶことは限りなく少ない。
反対意見もあって良いのだが、口喧嘩をして勝ち負けを競っているわけではないので、冷静に真面目にやりとりをしたいと思っている。
余談が長くなったが、都会やネット=人間関係が希薄、田舎や昔=日本人の心、といった結びつけは、誰かが勝手に作ったイメージに過ぎない。
都会の中やインターネットでつながった人間関係にも素晴らしい絆を見出す人もいるし、田舎に行っても、他人に対してなぜか無愛想、不機嫌な人はいるのだ。
今日自分が経験したように。
(当然、それがたった一つの経験でしかないことも踏まえて)
統計上はわからないし、そんなものを統計で割り出す必要もない。
こういったことは一般化することの意味自体があまりないと思うのだ。