日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

高速道路の最高速度引き上げについて

 
数日前のニュースだが、こんなニュースがあった。
理由は色々あるようだが、自分が着目したのは、以下の箇所。
 
規制速度との隔たりを解消することで国民の理解が得られ、規制の実効性が増すと考えている
 
これは、本当にそうなってほしいと思う。

 

何のための制限速度か

 
海外に住んでいる時に、その制限速度の高さに最初はびっくりした。
日本の路地よりは広いとはいえ、そこでの制限速度が50km以上というのもめずらしくない。
日本は、少しでも道が狭かったら、いくら見通しが良い道でも、40kmくらいのところが多い。
 
こういった道での制限速度は、警察のネズミ捕りによるノルマ達成以外なんの意味もないと思ってしまう。
 
結局なぜこう思ってしまうのかをそもそも論で考えれば、制限速度が低すぎて、運転手の心理的コンセンサスが得られていないから、ではないだろうか。
 
では、なぜこういう制限速度の設定になってしまうのか。
それは、制限速度が免罪符になってしまっているからだと考える。
 
つまり、上記の例をとれば、50kmで走行して事故を起こした人から、制限速度を守っていたのに事故で怪我をしてしまった、と言われないように、できるだけ低い制限速度にしている、ということだ。
どれだけ低い制限速度にしても、事故が0になることは無いにもかかわらず、だ。
 
ところが、結局のところその制限速度は、警察のネズミ捕りさえなかったら、きっちりと守る人のほうが珍しい、というくらい制限速度がしっかり守られることは少なく、結果取り締まる方も、少しだけオーバーしたくらいで捕まえると社会的批判が大きくなるし、第一仕事が増えすぎる、ということで全体にグレーゾーンができあがっているというのが現状だと思う。
 
今回の制限速度引き上げは、「ここまで引き上げたら、少しの速度オーバーで捕まえても文句言われないだろう」ということになる。
 
実際に、また海外の話で申し訳ないが、スピード違反の取り締まりは、日本より明らかに厳格に行われていた印象だ。
制限速度に対して、数キロオーバーでも当然のように取り締まる。おかげで、渡航してすぐのころには、かなりの回数警察のお世話になった。
ちなみに、スピード違反だけでなく信号無視も厳しかった。
信号無視した車両を、自動的にカメラが撮影するようになっていて、「いまのはぎりぎりセーフかな」といった人間的な判断は一切ないからだ。
 

リスクと利便性のバランス

 
制限速度が上がっても、最低速度が上がるわけではないので、危ないと思うドライバーは今まで通り100kmで走行すれば良い。
確かに、交通事故に関して言えば、自分自身がいくら安全に運転したところで、別の事故に巻き込まれたらどうしようもない、という側面もある。
だとすれば、そもそも高速道路自体を作らない方が、その速度の高さ故に事故をおこす人は間違いなく減るだろうが、そういった意見はあまり聞いたことがない。
それはつまり、そのリスクを背負ってでも得られる「利便性」を社会が優先していることの証だ。
 
今までの100kmという速度制限がどのような経過で設定されたのかは分からないが、車の性能も上がり、シートベルトやエアバッグなどの安全対策もそれに比例して上がった現代に、改めてその制限速度を「リスク」と「利便性」のバランスをとって再設定することには、一定の価値があると思う。