現役の大統領が、被爆地である広島を訪問することになった。
なんだかんだと言って、日本は、原爆投下に象徴される敗戦から様々なことが始まったと言える。
日本が戦争に向かい、その結果もたらされた原爆投下という悲劇は、リアルタイムで戦争を経験していない自分たちの世代も、絶対に心に刻んでおかなければならない。
なぜか。
それは、その出来事が人の手によってなされたことだから。
つまり、本当はその悲劇は人の手によって止められたかもしれないから。
いや、絶対に止められるべきだったと思う。
原爆投下は、時に現実感を持つのが難しくなるくらい大きな悲劇だが、たった70年前、本当に起こった出来事だ。
歴史は繰り返すという。
あの悲劇から人が多くを学ばないと、本当に同じことが起こる可能性が充分にある。
歴史に”if”はないともいう。
そう、被爆したという過去は変えられない。
だから、二度と悲劇が起きないように、その原因を徹底的に追求する必要がある。
核こそ使われていないものの、いまこの瞬間ですら世界のあらゆる場所で、紛争がおこっている。
何の罪もない民間人が命を絶たれている。
これが現実だ。ゲームでもドラマでもない。
世界は第2次世界大戦で悲劇を充分に味わったはずだ。
それなのに、いまだに紛争を続けている。
人は愚かと言わざるを得ない。
しかし、それは「憎しみ」という、人だけが持つ特有の感情が原因になっているが多い。
そして、同時に人は「悲しみ」という感情も、どんな生物よりも持つことが出来る。
人以外の生物は、戦争をしない。
しかし、人以外の生物に戦争は止められない。
それを止められるのは、「悲しみ」を深く感じることが出来る人だけだ。
オバマ大統領の広島訪問に関して、謝罪ではないという記事が出ている。
それは確かに残念だ。
しかし、謝罪するかどうかより、その悲劇を、深く深く感じてもらうことがまず大切だ。
座学では決して学べない被爆の悲劇。
もちろん、広島を訪問したところで、実際に被爆した人の悲しみは絶対にわからない。
それでも、そこに一歩でも近づこうとする行為が、次の悲劇が起こる確率をほんのすこしでも下げてくれれば良い。
その積み重ねに期待するくらいしかできない。
人は愚かだ。
愚かだから、世界から戦争や紛争はなくならない。
だから、やってくる悲劇や今起こっている悲劇に、少しずつしか抗えない。
しかし、少しずつでも、何もないよりは、はるかにはるかにベターだ。