日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

千羽鶴について

ひろゆき、DaiGoは猛批判!賛否呼ぶウクライナへの“千羽鶴”贈呈に日本折紙協会の見解は?(女性自身) - Yahoo!ニュース

 

千羽鶴を折って送っている人に悪意はありません。

ただ、その行為が人の迷惑になってしまう。

悪意ある人が非難されるのは当然ですが、思慮が足りない人が非難されているわけです。

 

千羽鶴って、何のために折るのか。

私は、それは自身のためだと思っています。

 

原爆投下地である広島や長崎の祈念公園に行くと、千羽鶴をみかけます。

修学旅行生が折ったものでしょうか。

 

普段から平和な日々を送っているほとんどの日本人が、あの戦争のことを思い出すことは少ない。

日常はそれで良いと思うのです。

 

でも、たまにはそれは思い出し、考え、未来のために悩むことも必要です。

日本ではないものの、今この瞬間でも戦争が行われています。

戦争がなくなることはないという厳しい現実を受け止めながら、少しでも減らしていくためにどうするか、という答えは、過去の戦争を振り返ることでしか見つけられないのではないでしょうか。

 

千羽鶴を折る時間は、思い出し、考え、悩む時間なんだと思います。

それは大切な時間だし、貴重な時間です。

 

自己満足というワードには、何かしら批判的なイメージがありますが、自分のためにやっているという意味では、その通りです。

 

逆に言えば、人のためにやっているのではない。

残念ながら、人のためにはなりません。

むしろ迷惑になってしまうでしょう。

 

今回の件は、千羽鶴をこのタイミングで送る、ということに対する非難であり、それは私もそう思います。

一方、千羽鶴を折るという行為には、上に書いたような意味合いもあると思うので、千羽鶴そのものが批判されるようなことは起こってほしくない、と思います。

 

もちろん、強要はいけませんし、千羽鶴を折る以外の方法で過去の戦争や、災害、悲惨な事件を省みる方法はたくさんあり、各々が決めることですよね。