日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

スポーツにおける誤審、誤判定は限界まで減らすべき

f:id:famo_seca:20160709143146p:plain

 
ウィンブルトンが開催中だ。
テニスのことは全く詳しくない自分の耳にも、錦織の世界的活躍は届いており、素晴らしいの一言に尽きる。
正直体格的なディスアドバンテージがある日本人にとって、テニスというスポーツは厳しいと言われていた(らしい)ので、厳しい、無理と言われていることにも、果敢に挑戦することは、改めて大切だと思うし、単純にかっこいい。
今大会では棄権に終わったが、今後に期待したい。
 

人間の目の限界

 
さて、世界トップクラスのテニスプレイヤーが放つサーブは、なんと250kも出るらしい。
しっかりと怪我ができるスピードだ。
バッティングセンターで150kくらいの球を体感したときも驚いたが、その1.5倍以上のスピードというのは、想像するのも難しいし、想像したら間違いなく恐ろしい。
 
そんなスピードの球が、ラインから外に落ちたかどうかを判定するのは、人間の目でやろうと思っても、正直限界がある。
そこで取り入れられているのが、ホークアイという技術。
 
これを使えば、誤審、誤判定は限りなく少なくなるだろう。
ライン上か、ライン外かの判定という、白か黒かといった判断は、テクノロジーのもっとも得意とする分野の一つだ。
 

選手のためにも、誤審、誤判定は限界まで減らすべき

 
誤審、誤判定は、誰しも少なければ少ないほど良いと思っているだろうが、それを最も強く望んでいるのは、競技者であろう。
特にプロの選手は、その為に毎日毎日特訓してきたことが、誤審、誤判定によって勝敗が左右されてしまい、無駄になる、ということは何がなんでも避けたい。
 
スポーツの世界のことはあまり詳しくないものの、例えば日本でもっとも盛んなスポーツである野球くらいは、たまに目にする。
キャッチャーの後ろに主審、それ以外にも塁審、他数名の審判がいる。
正直、これら審判は必要なのだろうか。
例えば主審、ストライクかボールかの判定で揉めること、その結果監督が出てきて暴言を吐き、退場させられるという光景も見たことがある。
いかなる理由でも暴言を吐くことは良くないとはいえ、根本の問題を解決することも大切だ。
この問題の根本は、ストライクかボールかの判定が微妙になってしまうからだろう。
 
当然ながら、ストライクゾーンというのは厳密に定められている。
それに照らしあわせて、微妙な判定の時にホークアイのようなシステムを使えば、上記のような暴言を吐いて退場という、健全とは言えない状況は減らせる。
 
スポーツの根幹は、定められたルールの中で、いかに勝負に勝つか、良い結果を出すかだ。
つまり、定められたルールは、本当に定められていないと成り立たない。
それを判断するのに、ミスをゼロにすることができない人間を起用しているというのは、スムーズなスポーツ進行の妨げになる。
 
誤審、誤判定は限界まで少なくする方法を探るべきだ。
現在の多くのスポーツは、その方法を限界まで探っているとは思えない。
その競技に人生をかけている選手のためにも、ぜひ改善をすすめてもらいたい。