記者の怒りがひしひしと伝わってくるような記事だ。
確かに日本は残業が多い割に、その成果はあまり出ていない。
簡単にいえば、労働のコスパが悪い。
この記者のかいてあることはもっともだと考えるが、すこし違ったアプローチで考えてみる。
残業の捉え方
残業という言葉に良いイメージを持つ人は、最近は少なくなったのではないだろうか。
一昔前までは、残業までして会社につくす人間は素晴らしいと言われていたのに、今では社畜と呼ばれる。
ルールに則って考えたら当たり前だ。
定時が決まっていて、それより長く働かせることになんの呵責も感じない組織側のスタンスには違和感を感じる。
たとえ残業代を払っていても、定時よりも長く働かせたいのならば、基本「お願い」というスタンスであるべきだ。
当然、サービス残業はもっての外だ。
しかし、もう少し遠目から仕事を捉えてみる。
そして、終身雇用するほどの体力が企業から失われてきたことを逆手にとって、転職が当たり前となった。
転職が当たり前というのは、少なくとも自分が好きな職業を探すのには良いことだ。
転職を繰り返し、辿り着いた仕事にやりがいを自ら見つけて仕事に没頭することは、誰も批判できない。
そして、没頭する中でそれが結果的に残業となることも想像に難くない。
消去法で選択した(している)職業の残業と、自らの意志でする残業は、同じ残業という枠組みでも全く別物だ。
繰り返すが、後者は批判できない。
不健全の源泉は、強要の空気
しかし、これを踏まえた上、つまり自らの意志でする残業ですら、するべきでない、と訴える人もいる。
その理由は、他の人も残業をしなければいけない空気になるから、というものが多い。
その空気感を簡単にいえば、上司が仕事しているのに部下が挨拶をして帰りにくい、といった状況だ。
消去法的職業選択での残業は非難されてしかるべきだが、残業自体を悪としてしまうと、自らの意志で仕事したい人に仕事をさせない、という不思議な状況が生まれる。
つまり、悪いのは残業行為そのものでなく、それを強要する周りの空気だ。
同調圧力の一種と言って良いかもしれない。
しかもこの考え方は、仕事がきついもの、大変なもの、ということを前提にしている。
しかし、消去法ではなく、心の底から仕事をしている時が一番楽しい、という人だって必ずいる。
勝手に予想すれば、そういった人たちは今後ますます増えるだろう。
日本語では、楽(ラク)と楽しい(たのしい)が同じ字なのが誤解を招く。
仕事はラクでは無いことが多いのは事実かもしれない。
それが楽しい、と思える仕事に就いた人生は、実り多いものではないだろうか。
その結果の一つが残業というカタチで表面化しているのならば、残業も悪くはない。
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