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福岡にある立花高校の校長へのインタビュー。
この高校、実はある有名な漫画のモデルになったのもあって、自分も前から名前は知っていた。
内容からはいろいろなことを考えさせられる。
高校へ行く必要
日本の高校進学率は非常に高く、義務教育といっても良いレベルだ。
本当は、高校に進学する以外にも海外に留学する、就職する、とりあえずアルバイトでつなぐ、などの選択肢はあるはずだが、ここまで高い進学率だと、まるでそんな選択肢は無いかのようにみえてしまう。
これは非常に問題だ。
10代半ばくらいで、ものを考える力は十分にあるはずなのに、大人が「高校に行くべき」と言わざるを得ない空気が蔓延しており、本人たちの意向を結局黙殺している。
記事中にも書いてあるが、高校では1日に最低でも5時間以上は授業がある。
週末を除けば、これが毎日続く。
考えてみれば、これはものすごい時間だ。
習慣化の本などの売れ行きはいまだとても高いが、毎日5時間以上なにかを続ければ、大抵のことはプロ並みになれる。逆に言えば、そのくらい毎日5時間を続けることは難しい。
しかも習慣化は、その内容が好きなことであり、かつ自発的に決めたことであっても難しいのだ。
学校での集団生活や学問の勉強が好きでない人にとっては、殆ど不可能と言って良い。
それを「高校に行くのは当たり前」という空気を武器に強要する。
まったくもって不健全だ。
心と体がねじれている生徒を受け入れられる社会
しかし一方、心と体がねじれることもある。
つまり、強要されているからではなく、本当に学校に通いたいと心から思っているにもかかわらず、体が動かない、つまり不登校になってしまう、ということだ。
こういう子への保障として、立花高校がある意義は大きい。
そもそも、なぜ心と体がねじれるのかを考えた時、それは中学までの大人による強要教育に対する反発を無意識レベルで感じ取っているかもしれない、ともいえる。
だとすれば、この高校での教育方針は理にかなっている。
- 入試は私服で良い。
- 本人が入学したいというまで何年でも待つ。
- 本当はNGだが、グレーゾーンとして化粧もただ強制するのではなく、教師間で対応を話し合う。
- 無理してでも登校しなさい、とは言わない。
これらの事は、捉え方を間違えると「甘やかし」になる。
しかし、この学校は大人が勝手に決めたルールに心が反発して従えない生徒の受け皿になっているので、ルール強要は何の効果も生まない。
そして、これらは全て、特に誰にも迷惑をかけない行為ばかりだ。
その証拠に、上記はすべて、そもそもこれらがなぜルールでNGになっているかの理由を明確に示すことができないものばかりだ。
なぜ入試は私服ではだめなのか。
なぜその年に入学する必要があるのか。
なぜ大人が礼儀としてする化粧を高校生はしてはいけないのか。
なぜ無理やり登校しないといけないのか。
あえて示すならば「そういうルールだから」とだろう。
大人社会では、この「そういうもの」という空気が人のストレスを生み、鬱症患者を作り出し、自殺者まで出す。
更生は強要ではなく、時間をかけて
校長のことを「校長ちゃん」と呼ぶモラルでは、たしかに今の日本で社会人としてやっていくのは難しいだろう。
しかしだからといって、それをルールで強要して更生するほど、人は単純ではない。解決したように見えて、それは「負の何か」がたまっていくだけだ。将来爆発する可能性もある。
叱責という単純な方法ではなく、それを長い時間かけて、「校長ちゃん」と呼ぶのは失礼だな、と生徒自身に気づかせることが、実は最も近道だ。
高校時代だけでは気づかないくらい時間がかかるのかもしれない。
それでも良い。
◆
高校に行くこと。
行ったとしてそこであるべき教育の姿。
それを再考するきっかけになる高校だと感じる。