この記事のコメント欄を見ると、どうやら否定的なものが多いようですね。
あなた達のようにはなりたくない。
旅へ出てあなたの元へは帰ってこないだろう。
こんなじいさんになりたくないな。
著者である藤原新也氏は作家であり写真家であり、旅人です。
この記事で宣伝している「大鮃(おひょう) 」も、旅を通じて主人公が様々なことを学んでいく物語のようですね。
作家を含むクリエイティブな職業は、自分の作品を通して何かしらのメッセージを社会に伝える、ということが一つの業務(?)内容です。
たまに、メッセージ性なんて全くない、という人もいますが、それはさておき。
藤原氏が社会に対して伝えたいたことは、藤原氏の作品をあたるのが最適なはずですが、それをぐっと凝縮してこのようにインタビューにしてしまうから、ほころびがあらわれてしまうと感じます。
父性と父性がぶつかりあった戦争に対するトラウマが、現代の父性を喪失させている。
しかし、本当は父性は決して悪いものじゃない。
これを社会に訴えるのは、このくらいの長さのインタビューでは困難です。
父性が決して悪いものじゃないという根拠が到底一言(・・・ではありませんが、一度のインタビュー)で伝わるものではないから、作家として本を書いたのではないでしょうか。
私としては、情報の追体験である旅に対して、何かに出合う感動や動揺がないと言い切る藤原氏もいかがなものかと思うものの、そういう一面があることは否定しません。
ゲームにのめり込んでいてオタクっぽい、影の薄い草食系男子が1つの時代の典型だ、という見方も、いささか大雑把な見方とは思いますが、そう思う節もあるにはあります。
しかし、それを短いインタビューで否定的に答えると、目には目をで、短い言葉で反論を受けます。
それが、冒頭に書いたコメントです。
おそらくですが、このインタビューの読者には藤原氏の伝えたいことが伝わっていないはずです。
ちなみに本の方はレビューも良いようですね。どこまで信用して良いかはわかりませんが。
つまり、この本を読んだ後に改めてこの記事を読んだら、また違った受け取られ方をすると思います。
問題なのは、このインタビューを読んで、本に手を出さない人が増える可能性がある、ということですね。
こうなると、インタビューの意義が全くなくなってしまいます。
この記事に対して否定的なコメントをした人のうち、何人が実際に大鮃を読みたいと思うのでしょうか。
本当は、そういう人こそこの本を手にとって、著者の伝えたいことの深いところを汲み取りたい、と思ってほしいのですが、逆効果になってしまう可能性の方が高いと思います。
もちろん、本を読んでもまったく同意できない人もいるでしょうけど、それは人それぞれですね。
◆
スピード感のある時代、情報は一瞬で手元のスマホに入ってくる、そして発信も簡単にできる時代。
そんな時代に、どれだけ急ごうと思っても、相当な時間と労力をかけないと完成しない小説などの書籍は、時間と労力をかけないとできないこと、伝わらないことが必ずある、ということを作家自身がまず意識することが大切だろうと思います。
少なくとも、著者本人が本で伝えたいことを無理やり凝縮して訴えるべきではありません。
記事の読者には、本の未読者も多くいることを想定するべきでしょう。
そういう私は、この本をまだ読んでいないので、もし時間ができたら読んでみようと思います。
考え方が自分と違う人の本を読むことは、読書体験の素晴らしさの一つですね。