日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

リクライニングを倒すことの許可を得る必要があるかで思う2つのこと

www.goodbyebluethursday.com

 

新幹線、リクライニングというセットでなくても、公共交通機関ではよくあることですね。

飛行機の肘掛けは隣の座席と共有しているので、どちらが使ってよいか微妙、というのも同じ種類の悩みです。

 

この記事を読んで2つのことを思いました。

 

立場が違ったら、考え方も変える

 

この例の場合、リクライニングを倒す方と倒される方、どちらもに同じ考え方をあてはめようとすると面倒なことになります。

 

まず倒す方は、後ろの人を気遣って「リクライニング、倒しますね」と言えばスムーズにいくのではないでしょうか。

それは、言うべきだ、というルールのような次元ではなく、軽い会釈程度の行為です(普段の会釈をルールだと思っている人はいないでしょう?)。

 

まあ、この投稿者のように、倒される方としてそれを嫌がる人もいるかもしれませんが、そこは色んな人がいるので致し方ない。

つまり、

・軽く許可を得てリクライニングを倒される場合

・何も言われずにリクライニングを倒される場合

のどちらに不快感を覚える人が多いのか、という統計論でしょうが、肌感覚では前者が少し多いのではないでしょうか。

繰り返しますが、だからそうすべきというマナーやルールという次元の話ではありません。

 

次に倒される方ですが、何も言われずに倒されても、そのまま受け止めれば良いだけです。

何も言われずにリクライニングを倒されて、具体的に困ったという人も中にはいるのかもしれません。

しかしその多くは、その行為自体に、つまり何も言わずにリクライニングを倒してきたということ自体に腹が立っている、という状況ではないでしょうか。

 

腹が立つ理由は、自分に置き換えているというところもあるのかもしれません。

つまり、「自分の感覚ならば、倒す前に後ろの人に一言声をかけるのに」と思っているので、なぜそれがこの人はできないんだ、ということです。

だとすれば、「まあ色んな人がいるしね」くらいに考えるくらいの広い心を持ちたいものです。実際、この投稿者のように、声をかけられる方が嫌という人もいるわけです。

あくまで、具体的に困っていない場合の話ですよ。困ったら逆に言えば良いと思います。

 

礼儀か強要か

 

もう一つ思ったことは、声をかけた場合の状況についてです。

リクライニングを倒しますね、ではなく、リクライニング倒しても良いですか、という質問がきた状況。

この記事にもあるように、大抵の日本人ならば、具体的に困っていない限り「だめです」とは言いませんよね。

ということは、その質問は実は質問ではありません。その状況を受け入れろ、という強要です。それは言い過ぎかもしれませんが、ベクトルとしてはその方向です。

 

これに似ている状況があります。車の割り込みの時です。

運転は自動車学校で習うルール以外に、暗黙の了解的なルールがありますよね。

代表的なものは、対向車がパッシングをしたら、もう少し先でスピード違反やシートベルトの取締をしているよ、という合図。

内容的に、自動車学校で教えるはずもありません。

 

こういった類の合図の中に、割り込み時の行為があります。

なかなか割り込みが出来ない時に、運転手が窓をあけ右手を振ると、ウィンカーをあげている場合よりもかなり高い確率で割り込み可能です。

これは、手を振っている行為自体は「いれてください」的な礼儀に見えなくもありませんが、実際のところは「俺の車を割り込みさせろ」という合図に近い。つまり強要です。

また、ハザードをつけて「ありがとう」の意思表示をすることもありますが、まだ割り込む前からハザードをつけて割り込んでくる、という車もよく見ます。特にタクシーですかね。これも同じで、ありがとうという行為を装った、「いれろ」という強要です。

 

礼儀と強要は、かけ離れているようで、実は結構近い。

強要はよくないですが、礼儀を装った強要はさらにタチが悪い。

気をつけたいところです。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

famo-seca.hatenablog.com