言語間の訳はそもそも「すり合わせ」で成り立っています。
例えば、同じ果物を指差して、日本人が「リンゴ」と言い、イギリス人が「apple」と言うので、リンゴ=appleなんだ、とすり合わせるわけですね。
何らかの言語が「基準」になって、それの日本語バージョン、英語バージョンがあるわけではない、ということです。
つまり、もともと日本にしか存在しないものは、それを表わす英語が存在しません。
すきやきだって天ぷらだって、もともと英語圏にはなかったので、そのままです。
もしあったら、訳ができるわけですね。ないので、音声をそのままにして表します。
モノの名前はまだ良い方ですが、感情表現となるとより難しくなります。
それが同じことを意味しているのかどうかのすり合わせが難しいからです。
美しいはbeautifulですが、そもそも美しいという感情に個人差があるので、すり合わせが難しいわけですね。
そんな言葉の代表は、切ない、わびしいあたりでは無いでしょうか。
これらの言葉を、日本人が日本語で説明するのですら結構難しいと思います。
寂しいとも悲しいとも違う、言い表しにくい言葉です。それが言葉本来の奥ゆかしさを醸し出しているとも言えます。
結果、英語や他の言語に訳すのが難しい。
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ところで、日本人はとにかく頑張るという言葉が好きですね。
好きというか、とにかくよく使います。
娘はまだ未就学児ですが、どこで覚えてきたのか、頑張るという言葉はすでに多用します。
頑張るを英語に訳すると?
今Google翻訳で調べると、こう出ました。
これ、納得いきますか?少なくとも私は、何か違うと思ってしまいます。
実際、切ないやわびしいを日本語で説明するのですら難しいことと同じように、頑張るも実は説明が難しいと思います。
頑張るを国語辞典で調べてみます。
【頑張る】
① あることをなしとげようと,困難に耐えて努力する。「―って店を持とう」「負けるな,―れ」
② 自分の意見を強く押し通す。我を張る。「ただ一人反対意見を述べて―る」
これを聞くと、少しだけなるほどと思います。しかし、翻訳とはえらく違うと思うのは私だけでしょうか。つまり、切ないやわびしいと同様、訳しにくいわけです。なぜなら、日本人独特のニュアンスが含まれているからです。
意味の中の「困難に耐えて」という部分が特徴的ですね。頑張ると努力するの違いは、困難に耐えていることかどうか、ということです。
今日も一日頑張って、というのは、困難に耐えなくてはいけないことがありき、ということになっちゃいますね。
私は困難に耐えて努力することは良いことだと思います。一方、そうしないとだめかと言えば、そうも思いません。
困難に耐えなくても努力する人はしています。困難とすら思わないことに打ち込んでいる人は大勢います。なぜわざわざ困難に耐えなくてはいけないのかさっぱりわかりません。
効率化は要するに、困難を減らしますよね。徒歩でしか移動できなかった時代に比べると、車や電車がある現代は、困難も少ない。つまり耐える量も少ない。ここだけ切り取ると、現代人は車や電車がないころの人に比べて頑張っていない、ということになりますね。
頑張っていないことが良くないのならば、テクノロジーは進化しなければしないほど良いということになります。いっぱい頑張れますよ。
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私は、普段できるだけ頑張るという言葉を使わないようにしています。
今日も一日頑張って、と言いそうになったら、今日も一日楽しんで、に変えます。その方が前向きだし、気持ちが良い。そして、結果的にはなんにも変わりません。
頑張るという言葉をどうしても使わなくてはいけない状況って、意外と少ないものです。
努力する、楽しむといった言葉に代用できる場合がほとんどです。
もし代用できない状況があったら、その頑張るの意味するところは、結構ぼやけていることが多い。
「今年も頑張りましょう」と年初に叫ぶ人もいますが、正直「何を?」と言い返したくなります。その具体性がなく、とにかく困難に耐えるということが独り歩きしているから、その言葉を多用してしまいます。もちろん、それは具体的であればあるほど良いのではないでしょうか。