日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

プレゼントとサプライズ

多分珍しいタイプだとは思いますが、私はサプライズのプレゼントをもらったりあげたりすることに、あまり嬉しさを感じません。

あげるのはともかく、もらうのは嬉しいだろう、という意見が出そうですが、もしもらうのが嬉しいと感じているのならば、あげることも嬉しいと感じると思います。

 

サプライズのプレゼントは、言葉の通りプレゼント自体と、サプライズ性の二つの要素がありますよね。

 

このうち、よく理解できないのがサプライズ性。

その時点で欲しいと思っているものをもらったら嬉しいに決まっています。

しかし、サプライズの場合は、自分が欲しいと思っているものが相手に確実にはわからないのが必然です。

つまり、プレゼント自体の満足度は、サプライズ性がない、事前に堂々と欲しいものを確認しておく場合より下がります。

 

プレゼントをもらうなら、サプライズのプレゼントの方がより好きだ、という人というのは、プレゼント自体から得られる満足度が多少下がった分より、サプライズという現象による満足度上昇の方が上ということです。

 

「そこまで欲しいものではなかったけど、そんなことよりサプライズでプレゼントをくれたことが嬉しい」

ということですね。

 

実際には、どのくらい欲しいもの「でない」かにはかなりの幅があり、よくあることとしては、既に持っているものをもらった時。

あとは、食べ物で嫌いなものをもらった時など。

 

普通に空気を読めば、せっかくプレゼントしてくれたものに対して、「ありがとう、でもこれ持ってるんだよね」とか「ありがとう、でもこれ食べられないんだよね」とか言うことは難しいでしょう。

友人ならばまだしも、立場が上の人、上司や義理の親相手だとなかなか言えないものですよね。

 

これは、プレゼントをあげた方が満足し、もらった方が気を使うという不思議なことが起こっている状況です。

 

 

プレゼントの選択を間違えなかった場合のサプライズによるプレゼントが嬉しいのは理解できます。

しかしながら、上記したような状況、つまりプレゼントの選択を誤ったときに起こる現象も何度も見てきました。

後者の場合、そこには小さいながら嘘が生まれ、多分不要な気遣いが生まれます。

 

私としては、そのリスクを背負ってまでサプライズのプレゼントを贈りたいとは思えません。

だから、人に何かをプレゼントするときは、堂々と尋ねるようにしています。

 

キャッシュであればもらって嬉しくない人はまずいないでしょうけど、こうなるともうプレゼントとしての嬉しさからは離れてしまいますしね。