私の2人の娘は、私も妻も仕事で且つ今のような夏休みで幼稚園もないときには、義理の母に預かってもらっています。
先日その義理の両親宅にいるとき、娘二人が仏壇の前で手を合わせているのを見ました。 義理の母いわく 「やっぱり先祖を大切にする気持ちを持ってほしい。先祖の方がいて今の私達がいるのだから」 とのことです。
そのとおりです。私達がいま平穏な毎日をすごせるのは、私達だけが努力したわけではありません。これまでの世代の方々が小さな進歩を積み重ねて今があります。 平穏な日常というのは、それがなくては成り立たないし、実際に今この瞬間ですら平穏とは程遠い環境で苦しんでいる人もいるのですから、本当に先祖の方々には感謝しなくてはいけません。
一方、先祖を大切にするというのはどういうことなんでしょうか。 仏壇の前で手を合わせること。 それは一つの形ではあります。それをきっかけに思いを馳せることは確かに大切です。 仏壇という「モノ」がなければ、そういう行動に出るきっかけがないし、そのきっかけがなかったら思いを馳せることも少ないでしょう。
しかし、思いを馳せるというのは、何かしら情念的ですが、中身はあんまりないような気もします。 私は先祖に対して「何を感謝するのか」というところまで考える日があっても良いのでは、と思います。
そのために必要なことは何でしょうか。 私は、それは「過去を知り、今を生き、未来を創ること」だと思います。
今日は8/6です。日本が世界で初めて被爆した日です。 何があっても忘れてはいけない日だし、忘れられない日です。 とはいっても、73年前です。物心つくのが4才くらいだとして、それを実際に記憶している人は77才以上です。 何が起こったかをちゃんと理解できるのは少なく見積もっても10才以上でしょうから、今83才以上です。 平均寿命と照らし合わせれば、かなり少なくなってきてます。
あんなにひどいことが起こって、それでも日本という国は亡くならず、今私達は(いろいろ問題はあるとはいえ)素晴らしい国に住んでいると言って良いでしょう。 これを成し遂げたのが先祖の方々です。
先祖に感謝するというのは、あの戦争の後でもたくましくこの国を支えてくれたことに対して。 恩返しは、この平和を維持することです。 だとすれば、なぜあんなひどいことが起こったのか、ということを改めて考えることが何よりも大切です。
日本軍の暴走?アメリカが悪い? そんな単純なことであんなにひどいことは起こりません。そこには人類の叡智を結集させてもまだ見えてこない複雑な要因が絡まっています。 だからこそ、そこに挑んでいく必要があるのではないでしょうか。
戦争が好きな人はいません。 だから「戦争反対」と叫ぶのは無意味です。そんなことわかっているからです。 大切なのは、どうやって戦争にならないようにするかを議論することです。