技術的特異点とは、簡単にいえばコンピュータが人を超える境目のことだ。
今の予想では、2045年前後と言われている。
テクノロジーの世界では世界トップクラスであるペイパルのピーター・ティールやGoogleのラリー・ペイジを始め、SoftBankの孫正義会長も2045年前後と予想しているので、結構信頼のおける予想ではないだろうか。
ヒトがコンピュータに支配されるのか
さて、この現象に警鐘を鳴らす人が多くいる。
コンピュータに人が支配されることを怖れているというのがその内容。
2045年といえば、あと30年もない。割に現実的に近い未来だ。
割に近い未来に、SF映画のようなことが本当に起こる可能性があるので、怖れるのも無理は無い。
怖れるのは自由だし、そもそも怖れはコントロールできない。
絶対といえる数少ないことのひとつ
ところで、未来のことは死後の世界と同じく、絶対に誰にもわからない。
絶対に、だ。
しかし、死後の世界と違い、予想はできる。
いや、死後の世界も予想は出来るかもしれないが、未来の方が予想しやすそうだ。
なぜなら、予想する為には「生きて」いることが絶対条件だから。
そして、予想ができれば、対策を立てられる。
つまり、傾向と対策だ。
だとすれば、怖れていることはさておき、その傾向と対策を考える方がより大事ではないだろうか。
解決のためにつながらない議論は他でやってほしい
そんなことは分かっている、と言われそうだが、意外にもそうでないことが以前あった。
しかも、大手メディアで。
人口分布を見れば、今後日本が少子高齢化することは、問題であろうがそうでなかろうが「確実」なので、問題を言い続けても仕方がなく、それよりも早く傾向と対策を立てないと、と思いながらそれを眺めていた。
結局やはり日本の少子高齢化対策は大幅に遅れた。
議論の為の議論にしかなってなかったのだ。
解決には行動が不可欠だ。
もちろん、情緒論や感情論でも何も解決しない。
冷静にエビデンスを分析し、怖れても、怖れていなくてもその問題に積極的に向き合い、対策を見出していくことがとにかく重要だ。
怖れることばかりでなく、明らかに良くなると予想されることにも着目するべきだと思う。
(良くなることが一つもないのならば、その変化は起こる訳がない)
それこそ不可能だ。
戦争をやめよう、とみんなで叫べば戦争がなくなる、というのが不可能、というくらい不可能だ。
それは限りなく「絶対」に近いくらいの確率だろう。