日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

学ぶ力を身につけることと、行政のデジタル化でよりよい社会へ

「私は頭が悪いから」アルバイトを辞める日にそう言った、忘れられない同僚の思い出 - ナレビ

 

私は、初等教育においてもっとも大切なのは、学び方を知ることだと思います。

そして、学び方は人によって違う。

だから、自分にあった学び方を見つけるのが初等教育の最重要項目だと思っています。

 

学び方といったら座学を想像しがちですが、座学は学びのごくごく一部でしかありません。

日々生活していくなかで、学ぶべきことは山ほどあります。

 

この記事に出てくる行政サービスのこともそうです。

自分が置かれている環境では、どんな行政サービスが受けられるのか。

それを学ばないと、受けられるはずのサービスが受けられない。

行政は私たちの税金によって成り立っているので、支払い損です。

 

学ぶコストは以前よりずっ下がりました。

ネット普及前だと、書籍や学校、セミナーで学ぶということがほとんどでしたが、今はとりあえずネット、つまりスマホやパソコンが窓口。

定額のネット固定回線代を除けば、ほとんど無料で多くのことを学べます。

サイトを見るもよし、動画で学ぶもよし、ブログを探すもよし。

選択肢も多い。

 

学ぶコストがずっと下がったというのは、学ぶ機会の差が減ったということです。

そんな日本、そんな現代で、「知らなかった、わからなかった」は通用しません。

 

初等教育で知っておくべき「自分自身に向く学習方法」を知らないまま大人になり、手元のスマホでなんでも調べられるのに「知らない、わからない」という人を救うこと。

 

もちろんそれも大切なことですが、学ぼうとうトライアルもせず「知らない、わからない」と嘆くのは、社会人失格です。

ちゃんと自分で学ぶという姿勢は持っておきたい。

 

一方、行政サービスは現状、確かに不親切です。

マイナポータルでは、自分の置かれている環境でどんなサービスを受けられるのか、というフィルタリングができる機能が実装されていますが、そもそもマイナンバーカードの普及が遅く、だからマイナポータルの改善も比例して遅い。

 

先日も書きましたが、児童手当の振込先金融機関変更というだけで、窓口に出向かなくてはいけません。

窓口に出向いてやったことは、自分の名前や住所、それから変更先金融機関を自筆で書いた、それだけです。

マイナンバーカードが本人確認できるIDだったら、スマホやパソコンとマイナンバーカードで出来るようになぜしないのか。

そうすれば、私だってラクだし、窓口担当の人だって雑務が一つ減ります。

 

 

行政はよりよいサービス提供の努力。

私たちは、学ぶ力を身につける。

この両輪で、よりよい社会が生まれるのだと思います。

選択的制服制度はいかが?

www.youtube.com

 

テーマが2つ。

競争と制服です。

 

どちらにも自分なりの主張がありますが、今回は後半の制服について。

 

私は、制服なし派です。

具体的に言うと、とりあえず制服はあるけど、それを着ていっても良いし私服で行っても良い、という選択的制服制度です。

(どこかで聞いたことあるような・・・)

 

まず物申したいのは、制服の賛否について、なぜ現役の学生の統計を動画内で出さないのでしょうか。

 

動画内で、神田女学園の校長は

  1. 制服により、社会で守ってくれる可能性が高い
  2. 服に悩む必要がない
  3. 思い出になる

という理由により、必要という意見を述べています。

 

1については、少なくとも私は守ってくれていると感じたことはありません。

ただそれは意識せずともそういう社会になっているのかもしれないし、自分以外の誰かはそれを感じているのかもしれないので、一概には言えません。

 

そして、2,3については、大人の勝手な想像です。

現役生の意見を聞けば良い。

自分の学生時代と、現在の学生は(こんなに時代が変わっているのに)同じ感覚のはずだ、という思い上がりでしかない。

 

2については、この動画に限らずよく聞く意見ですが、基本的に「必要な理由」にはなっていません。

 

服に悩まなくて良いから、制服が必要。

日本語の文章としておかしくないですか?

 

服に悩まなくて良いから、というのはおすすめする内容であって、強制するものではありません。

 

それで強制するという論法なら、キャッシュレス決済は便利だから、現金は使用禁止、というのと同じです。

 

また、「私服だと貧富の差が出て、いじめの温床になる」といった趣旨の発言もありました。

 

世界各国ですば抜けて制服率が高い日本ですが、制服によっていじめ予防になっているはずの日本の、いじめ件数は他国と比較してどうなんでしょうか。

ひろゆき氏ではありませんが、制服だといじめが減る、私服だといじめが増えるといったデータでもあるのでしょうか。

 

図録▽いじめの国際比較(PISA調査)

 

少し前のデータですが、これを見る限りそこに相関はなさそうです。

 

 

ということで、私は選択的制服制度が良いと思っているのですが、これには懸念点もあります。

それは、選択的夫婦別姓制度の懸念をジャーナリストの佐々木俊尚さんが指摘したのと同じです。

 

その懸念点とは、ドラえもんの映画ポスターに「野比しずか」と書いてあったのが炎上したように、本来は別姓でも同姓でも良いという制度なのに、同姓は古い、ダサい、だめだ、という風潮になる可能性がある、というところです。

 

同じように、選択的制服制度を取り入れたら、私服でも制服でも良いはずなのに、制服の生徒がバカにされる、といった空気にならないだろうか、ということです。

 

ここは難しいところですね

小学校で勉強する理由

勉強は面白くないけど、ゲームは面白い。

で、ゲームと勉強の明確な境界線ってありますか?

 

最近はYou Tubeで中学入試問題の解説をしているものもあります。

中学入試問題ということは、小学生の知識で解けるということです。

 

小学生の知識「で」解ける一方、小学生の知識「しか」使ってはいけないという制約もあるところが妙味です。

 

この辺を踏まえて問題を解くのは、ゲームっぽくて面白い。

私が個人的に好きなのは、算数の図形問題。

 

制約という意味では、√やピタゴラスは使ってはいけません。

そのうえで、小学校までの知識で必ず解けるはずです。

 

挑んでみると、正解率は3割くらい。

難しいですよね。

 

図形問題は、パズルみたいな感覚になるのでゲームっぽくて好きなんです。

図形問題は、勉強なのかゲームなのか。

 

www.youtube.com

 

これなんか、すごく面白い。

解説の素晴らしさはいわずもがな、ですが。

 

さすがに小学生の知識くらいはある人が多いと思うので、適切な場所に補助線を書いて、あれやこれやと考えていけば必ず解けます。

 

解説見た後、「そんな知識しらねーよ」とはなりませんよね。

 

 

勉強においては、それが将来に役立つのかどうか、という批判が少なからずあります。

それらの中には、そのとおりだと思うものもありますが、そもそも将来に役立つもの「だけ」を教えるのは不可能です。

将来がみんな違うわけですから。

 

では、なんのために勉強するのか。

それは、「学ぶ」というトレーニングをしているのだと私は考えています。

加えて、学ぶことは楽しい、という体験を積み重ねているのだとも思います。

 

だから、勉強は楽しければ楽しいほど、その意味があります。

図形問題を解けなくて将来困る人は少ない。

でも、難しい問題に挑んで解くのが面白い、という経験は、人生のなかで何度も何度も活かせます。

 

ところで、上の図形問題、解けましたか??

子供の勉強部屋はどこが良い?

子供に部屋を与える年齢っていつくらいが最適なんですかね。

教育方針の違いもあるでしょうし、個人差もあるので、一概に決められないでしょうけど。

 

部屋はさておき、勉強する場所はリビングが良いと聞いたことがあります

リビング学習と言うそうです。

 

リビング学習とは?子供の学習環境を整える方法|リビング学習お役立ちコラム|リビナビ.jp

 

読んでみると頷ける部分が多い。

で、実際にうちはリビング学習でした。

色んな理由があるものの、結局一番の理由は、親にとっても都合が良いからです。

 

ただ、やっぱりリビングでは兄弟がゲームしていたり、おもちゃがそこら中にあったりで、なかなか集中できないみたいです。

 

で、この度考えたのが、私の仕事部屋で勉強させる、ということです。

 

私はフリーランスなので、自分の部屋で仕事をすることが多い。

音楽関係ですが、音はヘッドホンで聞けます。

電話はほとんどしません。

そして子供は、私がいるからなのか、集中力が途切れても遊んだりはしません。

 

リビング学習のメリットに挙げられている項目のほとんどが得られます。

 

そして、実は私にとってもメリットが。

それは、私の集中力持続にもつながるということです。

 

仕事の合間についついYou Tubeを見て、そのままダラダラ。。。

凡人なら一度ならず経験があるのではないでしょうか。

 

横に子供がいると、さすがにそんなこともできません。

子供に「勉強しなさい」と言っておいて、仕事中にYou Tubeとなると、どの口が、、、となりますよね。

 

こんな実験ができるのは、自分の部屋で仕事をするという環境つくりが可能だからなので、普遍性はないかもしれませんけど、実験としては面白い。

 

少しの間続けてみようと思います。

 

子育ても試行錯誤の繰り返しですね

ルールを守らせるための条件

学校はとにかく閉鎖的です。

何かと話題になるブラック校則が象徴的です。

 

ブラック校則とは言え、ルールはルール。

大人になって、「そのルールがおかしい」と言ったところで、やっぱりルールは守らないといけません。

だからルールは守りましょう。

 

これが、教育現場で子どもたちに、たとえブラック校則でも守らなくてはいけないという理由になっていることが多い。

 

でも、この理屈には決定的な抜けがあります。

それは、大人が守るルール=法律は、変えることができるということです。

 

法律を作るのは国会議員。

そして国会議員は選挙で選ばれます。

国会が国権の最高機関なのは、国会議員が私たちの投票によって選ばれるからです。

国会が唯一の立法機関なのは、法治国家であるこの国の法律を、私たちが選んだ人が作る、という仕組みになっているからです。

 

つまり、法律は私たちの投票で変えることができる可能性があるのです。

 

一方、校則にはそんな民主的な方法で変える仕組みがありません。

学校によっては、生徒と先生、または保護者と先生との話し合いによって校則を変えることができる仕組みを作っているところもありますが、全体に占める割合は少ない。

 

また、私立の学校に行かない限りは学校を選ぶ選択肢もありません。

住んでいるところで勝手に決まります。

 

校則はそんな中で決まるのです。

 

私たちが選んだ国会議員が作った法律を守らせること。

知らない人が勝手に作り、今後民主的に変えられる可能性もほとんどないブラック校則。

これらを一括にして、ルールを守ることが大切、なんておかしすぎです。

 

こういうことを言っている人は、法律を決めているのが私たち国民から選ばれている人なんだ、という意識が低い人でしょう。

 

民主主義の根幹は、この国を形作るのは私たちなんだ、ということです。

国会議員は、あくまでも私たちの代表者であり、手が届かない偉い先生ではありません。偉いのは私たち自身なのです。

 

学校の学区制もなくしてほしいし、校則を変えられる仕組みもぜひ作って欲しい。

校則自体は各々の学校で決めた方がよいと思いますが。校則の制定の仕方については、文部科学省が決めるべきではないでしょうか。

 

 

進学校の生徒の悩み

私の知り合いに高校生がいます。

その子は、県内で屈指の進学校に通っています。

両親はともに教員。

 

ここまで聞くと、インテリっぽい家庭とか優等生とかイメージしがちですが、この子はちょっと違う。

 

実は勉強があまり好きではないのです。

中学までは成績も上々、環境も良かったせいか進学校の高校受験にも通りましたが、そもそも勉強の苦手意識があったようで、高校では周りにいる人の頭の良さにビビって、なんでこんなところにきてしまったんだ、と悩んでいます。

 

そして、この子は私と同じく、あまり競争心がない。

 

競争心がないのに、競争を強いられる気持ちは痛いほどわかります。

勉強でもなんでも、最低限はできないとだめでしょうが、どこまでも上を目指すのは個人の自由ではないのか。

若い頃から私がずっと疑問に思ってきたことです。

 

この子とは、音楽を通じて知り合いました。

音楽を学ぶことに関しては向上心があります。

勘違いされがちですが、競争心がなくても向上心はあるのです。

 

これはよく短距離ランナーと長距離ランナーに例えられます。

短距離ランナーは順位を競う。

長距離ランナーはタイムを競う。

似ているようで違うのです。

 

また、競争心がなくても劣等感は感じるのです。

この子の場合、進学校に入学しちゃったもんだから、劣等感を常に感じざるをえない。

 

 

大人は、次の世代のために色々考えなくてはいけませんね。

その子にとって、進学校に行くことが一般論的に言われている通りに幸せなことなのかどうかは、本当によく考えないといけません。

 

たかが学校でも人生が大きく変わります。

最終的には自分次第ですが、高校生に対しては、大人がある程度のレールを敷くことだって重要です。

学校に自浄作用はありません

「N先生に連れられ戻ってきた時、涙とヨダレでビショビショに…」横浜市教諭が小4女児に行った、陰湿イジメの全貌(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

 

むちゃくちゃですね。

胸が苦しくなります。

 

以前から私は言っていますが、学校に自浄作用を期待しても無理です。

自分も含め、関係者でない人がこの記事を読むと、第一に思うのはこの教諭への怒りでしょうが、第二に思うのは、なぜ誰も止められなかったか、ではないでしょうか。

 

断言しますが、今のままだとこういったことは繰り返されます。

というか、これまでも繰り返されてきました。

 

中野富士見中学いじめ自殺事件 - Wikipedia

 

こんな事件があったのに、人は同じ過ちを繰り返すのです。

私もあなたも、同じ状況に置かれたら必ず加害者か被害者になります。

 

こういった事件をなくすには、仕組みを変えるしかありません。

防犯カメラの設置。

警察の介入。

子供の命の危険すらあるのに、なぜこれを早くしないかわかりません。

 

教育機関に国家権力を介入させないのは、戦時中の軍事教育の反省から、と聞いたことがあります。

もしそうだったとしても、現代で同じことが起こる、つまり国民全員を熱狂させ国全体を暴走させるなんてことが起こることはありえません。

 

それよりも、日々報道されるこういった痛ましい事件を解決させるほうが大切です。

 

 

小中高、そして職場にはいじめがあり、大学にはない、もしくは少ないそうです。

この違いは、同じメンバーで固まっているかどうかです。

(大学は授業ごとに参加者が違うので、クラスという概念が希薄)

 

これは、個人の意識の問題というより、人とはそういうものだ、ということです。

 

かといって、今の小中高のクラスを自由参加にするのは現実的に無理です。

だから、放っておいたら必ずいじめがある、いくら気をつけても発生する、と思っておいた方が良い。

 

だからカメラや警察など外部要素を取り入れる必要があります。

 

私は、現在の法律でもっとも望んでいるのはこの部分です。

国会議員の方にぜひとも届いてほしい。