タイトルが明らかに釣りっぽいですね。
音楽が消えるわけないでしょう。
記事中でも、こう書いてあります。
代わりにユーザーの気分に合わせて作られたカスタムソングのようなものを聴くようになる
それは音楽でしょう?
各自の好みや必要性に応じて作られた音楽を聴くようになる
だから、それは音楽でしょう?
ユーザーは、特定の音楽を必要に応じて選ぶよりも、行動や気分に合わせたプレイリストをますます聴くようになっている
その通りだと思いますが、その結果予測がなぜ「音楽が消える」なのかわかりません。
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要するに音楽の聞かれ方が変わりつつあるし、その変化は今後ますます加速するだろう、ということなんだと思います。
もしそうだとしたら、私も同意です。
現代においては、音楽は巨大な市場規模になっています。
2018年のグローバル音楽市場は191億ドルで4年連続成長、音楽ストリーミングが世界に浸透。IFPIが発表 | Musicman-net
しかし、音楽の歴史と音楽産業の歴史は違います。
音楽の歴史全体から見れば、音楽産業の歴史なんてほんの一部です。
だから、音楽産業がいずれ廃れて、産業としては成り立たなくなるような変化は起きても不思議はありませんが、その変化をもって音楽が消える、というのは暴論も甚だしい。
私としては音楽でお金を稼いでいるので、ビジネス的にはピンチです。
しかし、一人の音楽ファンとしてはあるべき音楽のカタチに戻りつつあるのかな、とも思います。
私たちが文明を発達させるずっとずっと以前から音楽はありました。
雨乞いのためにダンスとともに奏でられる音楽がありました。
王族の華やかさを引き立てる為の音楽がありました。
奴隷という身分から解き放たれた音楽がありました。
戦争を憂いた音楽がありました。
恋人への気持ちを表した音楽がありました。
誰かの死を悼む音楽がありました。
こういった音楽は、誰がやっている音楽か、ではなく、なんのためにある音楽か、という軸で存在していました。
音楽が消えるということは、こういった心そのものが消滅する、ということになりますが、そんなわけないでしょう。
時代が変わって、雨乞いも奴隷も戦争も、少なくとも日本ではなくなりました。
しかし、誰かを好きになる気持ちや死を悼む気持ちが消えるとでも言うのでしょうか。
いつの世にも、それをメロディーやコード、リズムにのせて表現したい、という人は絶え間なく現れます。それは歴史が証明しています。
繰り返します。
音楽は消えません。
絶対に消えません。