こういう話題に対して、そこまで便利じゃなくても良い、って意見が必ず出てきます。
その便利さが必要かどうか、というのは主観の問題ですから、必要ない人は使わなければよいわけですが(改札の場合は使わないというわけにもいきませんけどね)、過去を振り返ってみても、大抵の場合はその便利さに飲み込まれていきますよね。
私が小学生くらいの頃、テレビにはリモコンがついていないモデルがほとんどで、逆にリモコンがついてるテレビだと、金持ちだー、なんて言ってました。
当時ですら、
「座っているところからテレビまでなんて数歩でいけるし、時間にしたら2〜3秒しかかからないんだから、リモコンなんていらない」
っていう人、いっぱいいましたよ。
結果は現代を見ればわかります。
私は音楽の仕事に就いています。
音楽そのものは、効率をもとめるものではありません。
だから、音楽を便利に聞けるサービスなんて普及しない、って言われてました。
音楽が効率を求めるものではない、というのはそのとおりなんですが、逆に言えば、音楽そのものが聞ければ、媒体がテープだろうとCDだろうとMDだろうと、複製したCDRだろうとダウンロードだろうとストリーミングだろうと、なんでも構わないわけです。
だから、歴史のルールからすれば、その中で一番便利なものが音楽の「聞き方」として残る、と。
これも、結果は現代をみればわかります。
私たちが便利なものをに向かって流されていくことは、どうやら止められないみたいです。
たとえそこにデメリットがあったとしても、です。
大切なのは、デメリットがあるから便利さに向かっていくことに抵抗することではなく、便利さの恩恵を受ける中で生まれるデメリットを予測し、それらをどうやって解決するか、ということを議論することだと思います。
テレビのリモコンは普及しましたが、現代人は昔に比べて運動量がその分減ったのかもしれません(実際のところは知りませんが、例えばそうだったとして、という話)。
運動量が減ることが健康、その他の意味で良くないことなのかどうかを検証すること、仮に良くないのならばどうやってそれを解決するのか、を話し合うことが大切で、リモコンは運動不足の懸念があるから普及させるべきではない、というのはあんまり実のある主張ではないな、と思うんです。
私の世代でテクノロジーといえば、インターネット技術とスマホがすぐに思いつきます。
どちらも、普及から現在に至るまで、実に多くの問題が指摘されてきました。
そういったテクノロジーがない時代には、インターネット技術とスマホにまつわる多くの問題がなかったわけですから、それを理由に、昔はよかったなぁ、と懐かしむのは勝手です。
でもいくら懐かしんだところで、インターネットもスマホもなくなることはありません。
スマホに関しては、より優れたデバイスに取って代わられることはあるかもしれませんが、ローテクに戻ることは考えられません。
私よりもっと前の世代にとってのテクノロジーは、車だったりテレビだったりするのかもしれませんね。
車は国内だけでも年間4000人近くの死者と約5万人のけが人を出しています。
テレビは視力低下や活字離れによる学力低下の原因になっているとも言われています(これも真偽の程はわかりませんけどね)。
でも、車もテレビもなくなりませんよね。
今後、便利なものはどんどん普及していきます。
便利なものが出てきたら、それはある人にとって便利どころかむしろマイナスになることだってあり得るのかもしれませんが、時代はそんな一個人の意見なんてものともせず、ただただ便利な方へと無感情に流れていきます。
テクノロジーの時代っていうのは、そういうことなんだと思います。