日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

道徳と向きあう

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記事にもあるように、道徳という言葉の意味や定義は、認知度の割にあやふやです。

 

私は思う道徳の向き合い方を書いておきます。

 

道徳の定義

 

辞書上の定義を、今一度確認します。

社会生活の秩序を保つために、一人ひとりが守るべき、行為の規準

社会、秩序という言葉が出てきますね。

 

社会は、集団で秩序が保たれている状態。

秩序を保つためには法律が必要。

 

そして、法は最低限の道徳です。

 

つまり、道徳の存在理由は、社会に必要不可欠だから、です。

 

なぜ社会があるのか

 

では、そもそも社会を形成することにはどんな意味があるのか。

これは意外とシンプルで、ヒトという動物にとってそれは、生存するための手段として最適だったからです。

 

考えてみれば、ヒトという動物は、単体ではかない弱いでしょ。

武器無しでライオンに勝てるわけありません。

 

じゃあなぜ私達がライオンに怯えずに日々暮らせるのか。

それは、社会を形成し、知恵を出し合って情報を共有しているからです。

 

野生のライオンは日本にいないので非現実的ですが、現在大変なことになっているコロナで考えても同じです。

 

世界で、日本でたくさんの人が感染し、重症化し、死者もでています。

 

ただ、もしこれが社会を形成していない状態で感染が拡大したら、私たちは対処できるでしょうか。

 

感染したらどんな症状がでるのか、という知識。

検査を受けるということ。

ワクチンを開発すること。

経済対策をすること。

 

これらは、どれだけ優秀な人がいても、一人では到底不可能です。

社会を形成するということは、一人の能力では到底不可能と思われていることを可能にします。

 

社会を形成するのは、感情を持った人間

 

人間には、幸か不幸か、感情があります。

行動経済学じゃないですが、合理的な判断がいつもできるわけではありません。

 

人類発展のためなら、今私達は自死したほうがよい、という論理的な回答が得られたとしても、それを実行できる人間はほとんどいません。

 

社会を形成するのが人間である以上、感情、不合理はつきものです。

これが何をもたらすかというと、社会の差異です。

つまり、社会によって価値観、考え方が変わるということです。

 

違いがあるということは、そこに衝突が起きるということ。

すべての戦争は、ここに要因があります。

だから、なくなりません。

 

9.11同時多発テロは、日本や米国からみたらテロリズムですが、アルカイダから見ると聖戦です。

あの事件を正当化できないものの、アルカイダを絶対悪とすることもできないのです。

 

こんなテロ、衝突、戦争が絶え間なく続く人間社会で、どんな行動が道義的なのか、そうでないのかはどうやって判断するのでしょうか。

誰が判断するのでしょうか。

 

無理です。

 

道徳と向き合う

 

無理ならば考える必要がない、と言っているわけではありません。

むしろ逆で、ずっと考え続けなければいけません。

 

世界にはこんなにもたくさんの考え方、価値観が溢れている、ということを、心底理解した上で、今後どうやっていくかをやっと話し合えます。議論できます。

 

ある行動をみて、それが道徳的がどうかを決めるのは不可能。

でも、それについて話し合うことは有意義だし必要です。

 

最近はSNSの普及もあって、悪寄りと感じられる行動をとった人に凄まじい罵声が飛びます。勧善懲悪です。

 

正義の反対は悪ではなく、また別の正義です。