「いじめを通して人は強くなれる」「将来のために耐えろ」なんて…“生き残った人”の言葉だけに耳を傾けてはいけない | まいどなニュース
いじめを通して人は強くなる「かも」しれない。
でも、記事中にあるように、生存者バイアスを考えたら、強くなれなかった人とどっちが多いかを調べるのは難しいし、そもそも強くなった人の方が多いという結果が得られたので、強くなれなかった人の方が悪い、というのはむちゃくちゃです。
現実論を言えば、いじめはゼロになることはないでしょう。
でも、少しでもゼロに近づける努力をするのが大人の責務です。
いじめられている子に、そうやって強くなるんだ、というのは、大人が自分の責務を果たしてもいないのに、まるで本人のせいにしているという、最悪な責任転嫁です。
社会は大人が作ります。
いじめを作り出すのも、最終的には大人です。
ゼロにならないという現実を受け入れつつ、だったらどこまでゼロに近づけるか、という努力を私たち大人はやっているでしょうか。
まえまえから書いていますが、学校という決してプライベートではない場所になぜ監視カメラをつけないのか。
駅やお店に監視カメラがあるのは防犯のためです。
同様に、いじめは「いじめ」なんていうワードを使っていますが、そこに暴力を伴ったら傷害罪という立派な犯罪、防犯カメラをつけるのは理にかなっています。
もちろん、LINEいじめは防犯カメラで防げません。
これに対する学校の対策は、LINE禁止、というこれまた雑な対策で、効果のほども全く期待できません。
一方、防犯カメラは明らかに効果を期待できます。
今でもあるかどうかわかりませんが、体育館裏にいって、、みたいなことはできなくなる。
これに反対する理由が、プライバシー云々というのは、効果とデメリットの天秤が狂っているとしか思えません。
いじめで人は死ぬんですよ。
命の問題と、学校内のプライバシー、どっちが大切ですか?
防犯カメラをつけるかどうかはの議論も含め、いじめ対策をどこまでも議論し追求していくのが大人の使命。
そこを「ある程度」にして、「いじめで強くなる」なんて言っているのはナンセンスの極みです。
そういう人は、大人の資格がありません。
いじめられている子に、わかったようなアドバイスなんてしないでほしいです。