日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

最終ジャッジが人?

体操「疑惑の採点」から考える自動採点の可能性(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

 

オリンピックで盛り上がっている最中に水を差すようですが、私はオリンピック競技において、これはどうなんだろう、というものがいくつかあります。

 

柔道、体操、(冬季ですが)フィギュア、、

 

共通点は、勝負の最終ジャッジが人(審判)に委ねられている、ということです。

 

私はスポーツにそんなに詳しくありませんが、スポーツの良さというのはなんとなくですがわかっているつもりです。

 

それは、決められたルール内での勝負であれば、どんな理由や背景があろうと関係なく、勝ちは勝ちだ、ということです。

 

もちろん、スポーツマンシップという言葉があるくらいなので、勝つためにはルール内なら何やったって構わない、とは思いません。

 

とはいえ、です。

やっぱり勝ったほうが偉いことに変わりはありません。

 

それまでどんな努力をしてきたか。

どんな環境に育ったか。

人格的にどんな人物なのか。

チームプレイだったら、チームの結束力はどうなのか。

 

こういったことは、直接的には一切関係ありません。

それがスポーツの醍醐味です。

 

そして、主観要素を徹底的に排除する、というのも一つです。

見る人によって勝敗が分かれてはいけない。

 

最近は高性能カメラなどを駆使して判定をする競技も増えました。

それは、カメラで確認すればだれもが納得するからです。

 

私が上であげた柔道、体操、フィギュア。

これらは、いくら審判でも誰もが認める判断をするのは無理じゃないですか?

実際に、これらの競技は「判定に疑問」みたいな話題をちょくちょく聞きます。

カメラ判定をしたものにこういった話題はありません。

 

アスリートは、人生をかけて大会にのぞみます。

短距離走なら、0.01秒を競います。

テニス選手は、打ち返された球をセンチ単位で予測するそうです。

 

このくらい繊細ななかで、技が一本なのか技ありなのか、という判断は、いくらプロの審判であっても、他競技に比べたらざっくりしすぎではないでしょうか。

 

ちなみに、最終ジャッジではないところに人の判断があるのも同様によくないとは思いますが、仕方ないという部分もあります。

サッカーのファウルプレイに対して、どの色のカードを出すのかは人が判断します。

でもこれは試合そのものの最終ジャッジではありません。

柔道、体操、フィギュアは、審判の判断が最終ジャッジです。

本当にそれでよいのでしょうか?

 

というか、それでよくないから冒頭のような記事を含め、「あの試合の判定に疑問!!」みたいなニュースがあるのではないでしょうか?