日本は良い国だと思いますが、こと経済に至っては「良い国」と言えない人が多いんじゃないでしょうか。
GDPは世界3位で立派な成績ですが、あらゆる経済的な統計で立派な数字なのはGDPくらいで、賃金や生産性や株価やら成長率やら考えたら悲惨なものです。
経済、つまりお金のことですが、お金って毎日毎日使うものなので、難しいこと考えなくたって、身の回りをみたら、日本の経済状況が芳しくないことは実感できるんじゃないでしょうか。
なぜ日本の経済はうまくいかないのか。
最終的な原因は、多分マインドです。
いくら貰えるかはさておき、一生懸命働く。
苦労は買ってでもしろ。
和を乱すな。
これらが美学として語られ過ぎではないでしょうか。
いくら貰えるかはさておき、一生懸命働いたらどうなるか。
これは、企業にとっては都合が良い。シンプルに人件費を抑えられます。
結果、低賃金のままです。
ただ、いくら貰えるかはさておき、一生懸命やることが全部だめだとは思いません。
むしろ、自然にそういうことになる場合があります。
それは、それが「好きなこと」の場合です。
好きなことだったら、没頭してやりまくるでしょう。
それは素晴らしい。
ところが、好きなことをやって生きていけるほど甘くない、という人たちが出てくる。
つまり、苦労するべきだ、という人達ですね。
そして、いくら貰えるはさておき、一生懸命働くことや、苦労は買ってでもしろという人達とは考え方が合わないな、と思ったって、それが認められる、つまり選択できることも少ない。
それは、みんなで一致団結、和を乱さないことが大切だからです。
私は別に「いくら貰えるかはさておき、一生懸命やること」「苦労は買ってでもしろ」という考え方を否定しているのではありません。
そういう考え方もあってよいけれども、そう思わないという選択肢もあってよいのでは、と思うのです。
でも、それが少数だとなぜか間違いになり、強制的に考え方をそろえなくてはいけなくなるんですよね。
「多数決だ」なんて言う人がいますが、多数決は、決定しなくてはいけないことにのみ適用されます。
生き方、働き方、考え方なんて多数決で決めるものでもないし、それで正解、不正解が決まるものでもない。
いくら貰えるかはさておき、一生懸命働く。
苦労は買ってでもしろ。
和を乱すな。
これらはすべてマインドです。
なにかの技術力が足りないのならば、技術力を上げる努力をすればよい。
それは目に見えてわかりやすいから努力もしやすいでしょう。
しかし、マインドは目に見えない。
だからなかなか変わらない。
そもそも、初等教育においていまだに上記のようなマインドが根付いている。
これで日本全体のマインドが変わっていくのかというと、結構難しいと思います。
希望はやっぱりネットを始めとした情報。
島国日本でも、情報だけは国境を超えてどんどん入ってくるようになりました。
その情報量は、初等教育で植え付けられたマインドを吹き飛ばすくらいになってきていると思います。
日本での当たり前が、世界では当たり前じゃない。
そう感じ始める年齢が下がっていき、堂々と「僕はそう思わない」と言えるようになれば、ようやく日本経済も変わり始めるのかもしれませんね。