週一で勤務している専門学校でのこと。
休み時間に、私の知らない先生同士が話している声が聞こえてきました。
A「社会に出たらやっていけないと思って、その子(教え子だと思う)にはしっかり言い聞かせました!」
B「それは確かにそうね。まだ社会の厳しさを知らないからちゃんと指導したほうが良いと思う」
その子に何を指導したのかはわかりません。
ただ、この「社会に出たら〜」という文言って結構聞くんですよね。
特に大人から。
これってどのくらい的を得ているものなんですかね。
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社会に出て学んだことってとても多い。
というか、体感としては社会に出て学んだことがほとんどかもしれません。
でも、私が社会に出て学び実践してきたことって、個人的なんですよね。
逆に言えば、普遍性がないということです。
時間についての話。
私は学生の頃から時間に関してはきっちりしていて、そのことは社会に出てからも良いことばかりでした。
でも、いつしか時間を守れない人はだめだ、社会に出たら困ることになる、と思っていたんです。
ポイントは、私が時間を守る人間で重宝されてきたから、時間を守らない人間は重宝されない、と安直に結びつけてしまっていたということです。
社会に出て、同じ境遇に身を置き続けていると、こういう間違いが起きます。
確かに、時間を守れないサラリーマンはやっていくのが結構厳しいでしょう。
でもサラリーマンはサラリーマン以外の世界を知ることが難しいんです。
私が今いる音楽業界には、正直言って時間にルーズな人がゴロゴロいます。
それが良いことだと言っているわけではありませんよ。
ただ、ちゃんと社会でやっていけてるし、時間をちゃんと守る私よりも、もっともっと仕事ができる人だっています。
時間が守れないと社会でやっていけないというのは、多くの人にあてはまるのかもしれませんが、普遍性はありません。
(ひろゆき氏も時間にはかなりルーズだと聞きました)
私たち大人が子供に向き合って何かを教えるときに大切なこと。
それは、個々人の大人は自分の置かれている境遇での社会しか体験していない、ということを忘れないことです。
学生には優等生という言葉があります。
でも社会人として優等生って定義するのが難しいでしょう?
一度も遅刻したことなく、毎日真面目に働いている人だけが優等生なんでしょうか?
人を裏切り、裏切られ、莫大な借金を抱えながら信念をつらぬき、大企業を一代で作った人だって優等生だと言えるはずです。
人を裏切ったからその時点でNG、となれば、今の日本を支えている大企業のほとんどはNGになりませんか?
「社会」に出たら、に含まれる社会という言葉の範囲が広すぎるんですよね。
「私はそう思う」と「社会はそうなっている」は全然違います。
気をつけたいところですね。