500の構成企業の平均寿命は、1960年代には約 60 年だったのが、今日では 20 年足らずしかありません
今から60年前の企業寿命が60年くらいだったということは、そろそろそれらの企業も寿命を迎えるということになりますね。
そして今日では20年足らず。
統計的に先細りするのが明確です。
イノベーションは課題にはなり得ません。なぜなら課題を解決するための手段がイノベーションだからです。
いわゆる、手段の目的化、というやつですね。
日本人は「頑張る」という言葉をよく使いますが、対象がないままに使っていることが多いのではないでしょうか。
「今日も一日頑張りましょう」
・・・何を?
これと同じく、イノベーションが大切なのではなく、「何を」イノベーションするか、ですよね。
そもそもイノベーションを起こそうとしてイノベーションを起こした人はいない
まあそうでしょうね。
イノベーションは常に結果論です。
私たちが暮らしている世界は偶然の積み重ねでこのようにでき上がっているわけではありません。どこかで誰かが行った意思決定の集積によって今の世界の風景は描かれているのです。
この視点を、私も含め現代人は見落としがちだと感じます。
世の中が悪い方に行ったら、それは私たちの何かの決定がよくなかった、とみなすべきで、どこかの誰かが悪い方向へ向かわせたのではない、そもそも「世の中」に私もあなたも含まれている、ということはよくよく意識しなければ、自分のことを棚に上げた誹謗中傷が蔓延ります。
本当に嘆くべきなのは「部下を動機付ける『意味』が与えられない」自分の不甲斐なさであるべきでしょう。
人の上に立つことがある人、すべての人が意識すべき考え方です。
人のせいにしない。
お酌をしない部下がいたら、部下のマナーを嘆くよりも先に、お酌をしたいと思われる上司になれているかどうかを考えるべきですね。
モノが過剰に溢れる一方で、意味が枯渇している社会にあって、若者が「モノ」に対してハングリーになれないのは当たり前
家にはエアコン、テレビ、冷蔵庫が当たり前。
移動は自家用車が当たり前。
手元にはスマホが当たり前。
当たり前のものに感謝するのは難しいし、そんな必要もあんまりない。
毎日ふりそそぐ日光に感謝している人なんて、あんまりいないでしょう。
だから、それに対してハングリーにはなれないし、それを嘆く必要もないと思います。
「世の中にこういうものを打ち出したい」という人間の想いが起点となり、その想いを実現するための道具として用いるのであれば、マーケティングの知識とスキルは極めて強力な武器となる
これもイノベーションと同じ構造ですね。
マーケティングは、手段で目的ではない。
それより前にビジョンがないと、色々成り立ちませんし、「意味」が見いだせません。
「意味」が非常に重要な局面において、いたずらに論理を積み重ねても良質なアウトプットは得られません。
論理の限界です。
論理は明確に答えがある世界。
これだけ情報が得やすい現代においては、答えにたどりつくことが簡単になり、同時に価値も下がる。
だから、明確な答えがある論理を積み立てても、上限が見えているという指摘ですね。
論理的思考は大切だと思います。
しかし、最重要、最優先ではない。論理至上主義は、勝者全取りにならざるを得ませんよね。
社会的に設定された規範に従うだけで、内在的にその規範が「真・善・美」に則るものであるかどうかを問うことを忘れてしまった悲惨な人間の典型的な回答です。
学校や会社でよくある、「そういう決まりだから」という言葉。
たいていの場合は、その決まりの根拠にはフォーカスがないので、結果的に??となるやいとりって多々あります。
規範意識はもちろん大切ですが、「真・善・美」に基づいて判断する、ということとセットであるべきですね。
私たちが現在、考えることなく無批判に従っている規範の多くもまた、これから「後」の時代の人々から見れば、いかにも無知蒙昧で野蛮なものにきっと見えるだろう、ということです
これは、本当によく思うことがあります。
日常というのは、当たり前過ぎて気づかないことばかり。
それを後世の人から見たら、かなりいびつなことってあると思います。
数十年しか生きていない自分でも、幼少期を思い出したら??と思うことがあるくらいですからね。
90%会計士、 10%ロックスター
これは、堅実な収入源と、投資がそんなに必要ないうえに、もしかしたら化けるかもしれないコンテンツ且つ好きなこと、この2つを併せ持つ生き方を表したものです。
音楽関係者としても、言い得て妙ですね。
太平洋戦争の戦死者はおよそ300万人と推計されていますが、死者の多くは最後の1年に出ています
逃げること、やめることをネガティブにしか捉えられなかった結果起こった悲劇です。
逃げてばかり、やめてばかりではだめですが、そういう選択肢も常に持っておかないと、悲劇は繰り返されます。
学校でのいじめや、職場での人間関係に苦しんだ結果、自殺という最悪な選択をした人は、どれだけ苦しんでも逃げてはいけないんだ、という呪縛から逃れられなかった結果です。
できるまでやれ、は危険です。
ちょっとの無理くらいまででとどめておくのが良いと思います。
不甲斐ないリーダーに対して、これを是正させるための契機として下にいる人間が取れるオプションは「オピニオン=意見をして行動をただす」か「エグジット=その人のもとから逃げ出す」かの2つしかありません。
つまり、言ってみるか、去るかです。
言ってみるまでは去っちゃだめ、ではありません。
言うのが無理なのは、言いにくい空気を作っている環境に問題があるかもしれないわけで、自身の勇気のなさではない可能性も十分にあります。
だから、言うか去るかです。
中長期的に大きな成功を収めている人は圧倒的にギバーが多い
身の回りにいる人で、みんなに慕われている人を思い出すと、たしかにそんな気がします。
細かいことはさておき、自分のできることはなんでもやる、という印象。
目先のケチさは、面倒さという印象を与えるのはうなずけますね。
人がどのように生きるべきか、社会がどのようにあるべきかを規定するのはサイエンスの仕事ではありません。
人は「生物」ですが、他の動物と違い、生物的に生きて、子孫を残せば満足、というようにはできていません。
最終目標は、ほとんどの人が「幸せ」であること。
その幸せは、科学での解明に限界があります。
ひとそれぞれの回答が違うからです。
普遍性がないから、科学でアプローチしようがない。
他者とは『気づき』の契機である
これは、以前も紹介したLISTENという本とセットで意識したいところですね。
他者とうまく話さなければいけない、ではなく、その人自身に興味をもって話を聞けば、人との出会いが楽しくなります。
そもそもリーダーシップは本来、権威によって生まれるものではありません。それは問題意識によって生まれるものです
私はリーダータイプではない、と思っている人は結構います。
かくいう私もそうです。
でも、世の中の優れたリーダーは、リーダーになろうと思ってなったのではないのかもしれません。
リーダーの条件は、人生をこのように設計したい、社会をこうしたい、世の中をよりよくしたい、という情熱が強いこと、これだけなのかもしれませんね。
その思いが、人をリーダーにするのだと思います。
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とにかく良書でした。
おすすめです。