社会はホームレスにどう向き合うのか、という身近だけど大きな問題です。
資本主義下では、ホームレスをゼロにすることはできません。
明日は我が身です。
承認欲求の満たし方を教育していくべき、という若新さんの指摘は、ぐうの音も出ないほど納得できるものです。
私は、まったく別のことで、
「野良犬に眉毛を書く行為は良いのか」
という問いを思い出しました。
7年も前の記事。
なぜ野良犬に眉毛をかいちゃいけないのかを真剣に考えました。
野良犬は「野良」なので、誰にもその犬を管理する権利も義務もありません。
眉毛を書かれた犬が痛がったり恥ずかしがったりすることはなさそうです。
「眉毛を書いた犬は、子どもたちからいじられるから」
という反論もありそうですが、それは二次的なものであって、眉毛を書くという行為そのものに問題がある理由にはなっていません。
なんとなく、やっちゃいけないことだ、と思っていましたが、なぜだめなのかがぼやっとしていました。
答えをくれたのは、もっとも付き合いの長い友人です。
「犬が嫌がっているかどうかではなくて、その行為をやる方の姿に疑問を持てるかどうか」
そうです。
野良犬に眉毛を書くような人間になりたいのか、と自分で問うてみれば、答えは自明です。
「真善美」で言えば、善くないし、美しくない。
◆
なぜこの話を思い出したのか。
自らの意思でホームレスになった人が全体のどのくらいいるのかは知りません。
もし、自らの意思でホームレスになったのならば、たとえ
「ホームレスを差別してはいけません」
と言われても、差別を受けることになるだろう、ということは、ホームレスになる前から予測がつくだろう、と思うのです。
それは芸能人もしかりで、プライバシーは奪われるし、あることないこと記事にかかれるし、でもそれもわかっていて芸能人をめざしたんでしょう、とみなされるところはあると思います。
ホームレスに対する差別や嘘の記事を書くことが良くないことだという前提で、です。
動画内で紹介されている、ホームレスに対するひどい行為。
これは、相手がホームレスで、差別しても良い対象だからOK。
これは、善悪を相手によって変えているということになります。
つまり、自分の中に確立した倫理観はありません。
そうではなくて、そういった行為をする自分はどうなんだ、と問えるか、ということだと思います。
まさに、野良犬に眉毛をかくことの考察と同じです。
◆
日本人は、私も含めて無宗教の人が多い。
そんな日本人にとっての倫理は「世間体」によって象られています。
これは、山口周さんの本からの引用です。
登場人物が2人なら、倫理は相手によって決まる、ということになります。
私たちはそろそろ、倫理観を自分で形成していく段階に入っているのではないでしょうか。
自分の胸に手をあててみて
「こういう行為をする自分ってどうなんだ?」
と問う必要性があるように思います。