先日、小学5年生の女の子と話す機会があった。
その中で出た話題。
明日は塾だから家で宿題しなくちゃ、ということだ。
そこで、塾のことを色々と聞いた。
- 小学校で同じクラスの子は、だいたいみんな塾に通っている。
- 塾には、成績によってクラス分けが細かくあり、この小学生は5段階あるうちの3つ目のクラスにいる。
- 勉強は嫌いだが、塾の先生は面白いので、塾に行くのはそんなに嫌ではない。
こういったところだ。
みんなが塾に通っている現状
日本では、中学までは義務教育なので、塾に通わずとも進学はできる。
にも関わらず、ほとんどの生徒が塾通いという現状らしい。
これは、集団心理によるものが多いと思う。
周りの生徒が塾通いだと、自分も行かないと皆に遅れをとる、という心理だ。
つまり、もう既に周りと同じ状況にいないと不安、という感情があるということだ。
塾での成績によるクラス分け
人はみな違う。
身長や体重、指紋、声など、身体的なものから、あらゆる能力にも当然先天的な差がある。
だから、学力も違って当然だ。
学力が違うと、教え方や教えるスピードにも違いが出てくるので、そこを考慮してのクラス分けだろう。
上には書かなかったが、追加の質問で、成績が良いクラスの方をめざしているかどうかをたずねたところ、「行きたいと言えば行きたいかな、、」といった微妙な回答だった。
また、勉強自体が好きかどうかをたずねたところ、好きではない、との回答。
つまり、好きでもない勉強ですら、上のクラスに行くために努力しなくてはいけない「のかな」といった様子。
塾のクラス分けは、こういった考え方に向かいやすい。
塾は面白い?
塾通いが面白い理由は、先生が面白いからだという。
公立の先生と違い、民間企業である塾は、当然利潤を追求する。
塾の収入源は授業料、つまり在籍生の人数によるので、より魅力的な授業をつくり、入塾生を増やすことを目指す。
つまり、面白い授業をする理由は、簡単に言えばお金稼ぎだ。
お金稼ぎは当たり前だが悪いことではない。
ただ、教育機関の第一義である、「良い教育」の方に、お金稼ぎよりも重点が置かれているかどうかは疑問の残るところだ。
小学生くらいの子が一番学ばなければならないことは?
基礎学力は当然ながら重要だ。
掛け算九九を知らない、基本的な感じの読み書きができない、おおまかな日本の形をしらない、磁石のN、S極を知らないといったことでは、おそらくこの日本では結構苦労するだろう。
しかし、その程度の知識まではほとんどの生徒が身につけることができるだろう。
問題は、それ以上の知識は、必要かどうかは人による、ということだ。
政治家になりたい人と、宇宙飛行士になりたい人、ミュージシャンになりたい人、画家になりたい人、農家、漁師になりたい人では、おのおの必要な能力は違う。
だから、何かに使うかわからないので、とりあえず勉強しておこう、というのは焼け石に水なのだ。
このブログを読んでいる人の中で、鶴亀算を知らなくて困った人は殆どいないだろう。
では何を学ぶべきか、というと、勉強の「仕方」を学ぶべきだと思う。
結局どんな生き方をしていくにしても、その分野での勉強が必要になる。
座学に限らず、体験してみることももちろん勉強の一つだ。
職に就く年齢になったときに、新しいことを学ぶにあたって、自分にはどういった勉強の仕方があっているかは知っておいたほうが良い。
そして、どういった勉強の仕方があっているかも、これまた皆違うのだ。
繰り返し型、書き型、言い型、体験型、友達巻き込み型、ご褒美型、罰則型など、様々な「型」がある。
これらを20年弱費やして把握していくことが大切だと思う。
塾の良い面、悪い面
この側面からみると、塾通いは良い面も悪い面もある。
まず、みんなが通っているから自分も塾に行く、成績によるクラス分けにおいて、勉強が好きでもないのに上のクラスに行きたいと思う、といったことは、その子が「考える」ことを妨げている気がしてならない。
子供こそ、意識せずに「0ベース思考」ができるのに、そこを大人が削いでいく。
これは由々しきことだ。
一方、好きかどうかはさておき、成績を上げるために努力する回数が増えると、自分にあった勉強方も身につきやすい。
考える事を教える
教育は子供の将来を考えてなされるべきだ。
自分たちの生きてきた時代と違う時代を生きていく子どもたちに、自分たちのケースを教えても役にたたない。
教えなくては行けないのは、考えることの重要性、もとい「考える事の楽しさ」だと思う。