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最近マナーネタが多い気がします。
名刺は、管理という面ではデジタルに絶対に勝てません。 1000人分の名刺から探したい名刺を探すのは難しいでしょう。 名前で探すのなら良いですが、会社名から探したり、電話番号から探したりするのはほとんど無理です。 反面、デジタルは検索すれば数秒で探せます。 それに、クラウドベースの名刺管理サービスならば、いつでもどこでも名刺情報を引き出せます。 名刺を全部持ち歩くわけにはいかないでしょう。
ちなみに、私は名刺管理にはEightを使っています。
他にもEvernoteを使う方法や、LINEも同様のサービスを始めているようで、いろいろと検討中です。 ただ、どのサービスを使っても、上に書いた検索程度は当たり前にできます。
さて、今回はそんなデジタルの名刺とは縁のない、名刺交換のマナーについてです。 名刺にしても、ほかのサービス(例えばキャッスレスなど)にしても、テクノロジーの進化とともに出てきたサービスは、移行がすぐに行われるわけではなく、過渡期が存在します。 名刺も、私は過渡期だと思っています。ゆくゆくは、名刺という概念すらなくなるかも、とさえ思っています。 なぜなら、SNSでつながっていれば特に連絡に困らないからです。 実際に上で紹介したEightも、名刺管理サービスでありながら、ビジネスのためのSNSというキャッチコピーを使っていますね。
しかし、過渡期故に、名刺が今日明日なくなるわけもありません。 名刺をほとんど使わなくなった人から、名刺をフル活用する人までひろく混在しているのが現在です。
だから、名刺交換を必ずやっていた時代に比べて、名刺交換のマナーが段々と忘れられていくのは必然です。 そんな中、名刺交換においてマナーがあることを知った人は、どういう行動にでると思いますか。
おそらく、無難にマナーに従うと思います。
つまり、マナーに従っても従わなくても良い場合は、とりあえず従っとけ、という思考です。 知ってさえいれば、マナーを守ることは特にエネルギーを使う行為ではありませんが、マナーをあえて破るのには精神的なエネルギーを結構使います。
私はこれが、不思議なマナーがなくならない理由だと思います。 日本人特有なのかどうかは定かではありませんが、無難、事なかれ主義のあらわれとも言えるでしょう。
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マナーとは全然関係ありませんが、学校の部活動に関して、内田良さんの「教育という病」の中に、興味深いことが示してあります。 [amazonjs asin="4334038638" locale="JP" title="教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)"] これによると、部活動の顧問も生徒も、部活動を週に5日以下にするべきという意見が過半数なのに、現実には週6日以上行われている、というものです(192ページ)。 顧問は生徒がやりたがるから、生徒は顧問がやるぞと言うから、という要因から生まれた空気が現実を決めるわけです。
名刺交換のマナーに関しても、お互いにそのマナーを遵守しながら実は心の中で「こんなマナー必要かな・・・」と思っていることは大いにあり得るでしょうね。
そう考えると「思っていることは想像するより口に出して言う」がはじめの一歩かもしれません。 「沈黙は金」ではなく「沈黙は禁」になっていけばなぁ、と思います。