日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

音楽理論との向き合い方

音楽、その中でもアーティスト活動や演奏家、作曲家、編曲家として生きていこうとする人にとって、音楽理論は必要不可欠なものです。 でも、音楽理論って、どちらかと言えば「勉強」に近いですね。そしてなぜか音楽家には勉強嫌いが多いようです。 だから、音楽理論が壁になることって結構あります。

音楽理論と知識

そもそも音楽理論に抵抗がある人は、音楽理論を小中学校で習った勉強のニュアンスに近いものだと感じている人が多い。 そしてここが最も問題ですが、音楽理論書もそんな雰囲気で書いてあるので、気が滅入ることになります。

前提からして、何のために音楽理論を学ぶのか、ということころです。 音楽理論の先生になりたい、とか、理論書を執筆したい、ということをのぞけば、それはより良い音楽を創造するためでしょう。 逆で考えれば、良い音楽を創造するのに役に立たない音楽理論は、宙ぶらりんの知識でしかありません。

小中学校で習った勉強も、究極的には社会で生きている為に必要な教養を身につけるためでしょうが、学習内容を社会でどう利活用していくかという意味において、時間的にもコンテンツ的にも開きがありすぎます。つまり、小中学校の学習時点ではそんなことは考えていないし、考えられません。 だからやっている意味がわかろうがわかるまいが、とにかく教養を身につけておきましょう、となります。

音楽理論にも、そういった側面はあります。学ぶべきことと、それが音楽を創るときにどう役立つかが、すぐには結びつかないことですね。でも小中学校の事例に比べれば、だいぶダイレクトに近い。

理論と「音」

それから、音楽理論を学ぶのは、その知識が目的ではありません。それを駆使した「音」の方がメインターゲットです。 これも逆に言えば、音の方さえ感覚的に理解していれば、知識は不要です。

わかりやすい例を出します。 楽曲のKEYがあり、それに紐付いたダイアトニックコードというものがあります。そして各々のコードには構成音があります。 ダイアトニックコードの構成音を全部暗記することは、音楽理論を学ぶことに他なりません。 しかし、それをパーフェクトに暗記したところで、それはまだ知識止まりです。大切なのは、各々のコードがどういった「音」なのか、です。 極端に言えば、構成音なんて暗記していなくても、ダイアトニックの音の雰囲気を感じ取れれば、全く問題ありません。 ダイアトニックコード、という名称だってぶっちゃけどうでもよいわけです。

しかし、理論書というのはその多くが書籍という形態なので、このコードがこんな音、ということを表わすのに限界があります。結局文章化しやすい構成音の説明が多くなってしまうわけです。

理論を学ぶときには、必ず「音」とセットで

音楽理論は必要です。「ド・レ・ミ」という音名ですら音楽理論ですから、理論ゼロで音楽が創れるわけありません。 しかし、学ぶときには、音とセットでなければほとんど意味がありません。 コードにはトニックとドミナントサブドミナントという機能があるんだ、という知識ではなく、ドミナントを使うとこんな雰囲気の音になるんだ、ということを身に感じるところが最も重要なんです。

スポーツの世界では、こんなこと説明しなくてもみんなわかっていますよね。 野球で優れたバッティングフォームを本で学んだだけで強打者になれる人なんて絶対にいません。その本に書いてあったことを自分でやってみて試行錯誤を繰り返す、その先に上達があります。 本でバッティングフォームを学んでいる時間と、それを実際に試している(練習している)時間がどちらが多いと思いますか?自明ですよね。