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譜面のことは以前書きましたが、改めて。
ミュージシャン志望の若者から、今読譜の勉強している、みたいな話はいまだによく聞きます。 ここでいう譜面というのは、おたまじゃくしがいっぱいある、あの譜面です。
で、いわゆるPOPS関係のアーティストの中には、譜面が読めない人はたくさんいます。 ちゃんと統計を取れているわけではありませんが、読めない人の方が多いのではないでしょうか。
なぜ多くのミュージシャンは譜面が読めないのでしょうか。 譜面はPOPSには役に立たないのでしょうか。
そんなことはありません。 譜面は読めるに越したことはありません。
ではなぜか、というと、 ・優先度が低いから ・自由度が減るから の2点が理由です。
優先度が低いというのはつまり、読めなくてもそこまで困らない、ということを示しています。 とくにテクノロジーが発達した現代では、譜面でしか音の伝達手段がなかった時代とは違い、多少音が悪くてもスマホでささっと録音して送信すれが、特に困りません。
自由度が低い、というのは、メロディー以外の部分についてです。 楽曲において、メロディーとコードというのは、勝手に変えて良いものではありません。 そこに作家のアイデンティティーが反映されているからです。
しかし、それ以外の肉付けの部分は、その場の権限保持者の自由がある程度効きます。 コードに関しても、Cメジャーというコードをドミソで弾くか、ミソドで弾くか(転回)は、ディレクターやプロデューサーに委ねられているところが多い。 POPSは、ここに自由があるということが大切です。
クラシックでは、和音で転回形は自由に、なんてことはありません。 譜面通りに弾くことが最重要で、譜面に書ききれないニュアンスなんかを演者がどう解釈するのか、というのが見どころ、という文化です。 POPSとは違いますね。
この側面でいくと、おたまじゃくしの譜面の必要性が減るのが理解できると思います。 一方、同じ譜面でもコード譜というのがありますが、これを読めないミュージシャンというのはほとんどいません。 ボーカルは除きますが、ピアノやギターを弾くけれどもコード譜は読めない、というのは、少なくともプロの世界では会ったことがありません。
先程書いたのと逆で、コード譜というのは、コードしか書いていないので、その分演者やその場の権限がある人に決定が委ねられているわけです。 メロとコードという骨格は変えず、でも自由度はある、というバランスが丁度良いのがコード譜、というわけですね。
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譜面は読めないとだめなのか。 答えは、読めたほうが良いけど、必ずしも必要、というわけではない。
中途半端ですが、こんな感じです。