このブログのタイトルも、一応「ジャーナル」なので、いろいろな事柄に関しての個人的な見方、考え方をつらつらと書いているのだが、当然ながら自分よりも遥かに博学、経験豊富な方もたくさんいらっしゃって、そういった方たちはメディアにでたり、本を書いたり、セミナーを行ったりしている。
考え方、思想というのは、形がないだけに、柔軟性があるとおもわれがちだが、意識しないと、そうでなくなることも多い。
ある考え方、思想に染まり「すぎて」しまうと、他人がどうアドバイスしようが、まったく受け付けなくなることは多々ある。
オウム事件の時に「洗脳」という言葉をよく聞いたが、それはまさしく、ある思想に染まり「すぎて」いる状態だろう。
しかしながら、考え方を人から教わるのは別に悪いことではない。というか、基本的には考え方や思想は人に影響を受けて、自分の中で確立していくものだろう。
しかし、この過程で過ちを犯さないために、一つだけ大切なことがある。
それは、自分の考え方や思想と反対の意見も、素直にインプットすることだ。
具体的な例を出そう。
今話題の安保法案。これに賛成、反対は色々な意見がある。入り口は、インプットしやすいテレビや雑誌で、ある程度の概要を把握したあと、なんとなく賛成、反対に傾く。
すると、例えば自分が賛成だった場合、同じ賛成の意見をもっているジャーナリストや作家の意見をたくさん聞きたくなり、そういった人たちの記事を読みたくなり、本を買いたくなる。
どういう心理作用かは自分には分からないが、おそらく「自分の考え方の正当性」を強めたい、といったところではないだろうか。
「そうだ!その通り!」
という感じ。
しかし、好きな野球チームの話ならいざしらず、一国の大切な法律の賛成、反対は、より慎重に判断すべきだろう。そして、慎重になる為の唯一且つ簡単な方法は、逆の意見(この場合だと反対意見)を持つ人の意見に、真剣に耳を傾けることだ。
テレビは、意見をいう人を視聴者が選ぶことはできない。その場でディベートに強い人が支配する。
だから、本が良い。
この投稿のなかで、自分は推進派と否定派の本を5冊ずつ読んだ、と書いた。
なるほど、どちらの意見にもうなずける箇所はたくさんある。
炭水化物程度のことだと、特にこんな必要はないと思うが、考え方、思想に関してはこの方法は、非常に有効、いや不可欠だと思う。
つまり、安保法案にあなたが賛成と思っているなら、あえて反対論者の本を数冊読んで見るべきだ。
賛成論者の意見「しか」聞いてなかったときよりも、より多面的にとらえることができるだろう。
そういった意味では、セミナーは危険を孕んでいる。
なぜなら、そこにはセミナーで講演する人の考え方に近い人ばかりが集まるからだ。
講演内容に傾倒するばかりでなく、それを一緒に聞いている人の数も目に入るだろう。すると無意識に「こんなにもたくさんの人がこの人の考え方を推しているんだ」と感じるのは避けられない。
結果、極端な思想に陥る。
安保法案に限らず、ある事柄に対しての賛成論者の主張の中には、必ず「反対論者はこういったことを述べているが、それに対して私はこう反論できる」といった内容が含まれている。
しかし、反対論者の主張は、賛成論者から正しくは学べない。なぜなら、当然賛成論者のバイアスがかかっているからだ。反対論者の主張は、あくまで反対論者から直接学び、自分のアタマで理解、判断すべきだろう。
考え方、思想を学ぶときに大切なこと、それは、考え方、思想の「浮気」ではないだろうか。