空気の力はバカにできないもので、理屈では明らかにおかしいことでも、周りがそうだから、というのが行動原理になっている状況は、いまだに結構ある。
その最たるものが残業だろう。
残業はほぼ「命令」
会社には定時というものがあり、それ以上に働くことを強制することは基本的にはできない。
しかし、定時に帰宅する社員がほとんどいないなかで、自分だけお先に、ということを臆することなく言える人はあまりいないのではないだろうか。
特に、空気を読むことが善とされている社会では、無難に周りに合わせることになるので、結果残業となる。
つまり、これは命令ではないが、実際のところは命令に近い。
残業に対する考え方の変化
ところが、最近はインターネットの普及も手伝い、残業に対する疑問も多い。
統計に着目し、残業をしないほうが生産性を高めているというデータを出したり、そもそもの強制力がないことに言及したり、という記事はよく見かける。
今まで、長く働くことが良いとされていたことに比べると、非常によい変化だ。
冷静に「データ」や「決まり」に照らしあわせて物事を判断するのは、必要なことであろう。
しかし、実は残業自体は問題なのだろうか。
自分はそうは思わない
働き方は一般論では語れない
自分のようなフリーランスや、自営業者の中には、自ら残業をする人が多くいるだろう。
というか、定時なんてものがないから、残業とすら呼ばない。
しかし、サラリーマンが言う残業とは大きな隔たりがある。
それは、強制されていない、ということだ。
裏を返せば、自分の判断で好きにやっているだけのことだ。
会社や企業は組織なので、そこには一定の決まりを作らないと、秩序が保たれない。
だから定時を作らないといけないが、各々がやっている仕事内容は違うし、各々の仕事のやり方も違うだろう。
だとすれば、定時はとりあえず設定するが、厳密なところは各々に任せる、という状況になる。
ここで問題なのは、結果ではなく仕事のやり方(プロセス)まで強制してしまう風潮があることだ。
残業にまつわる問題も、結局縦社会構造の弊害
散々このブログでは批判している縦社会構造だが、残業に関しても同じだ。
目上に人が働いているのに先に帰宅することは出来ない風潮は間違いなくあるだろう。
さらに面倒なのは、目上の人間は、部下が早めに帰宅しても特に気にしない、と思っていても、勝手に部下のほうが気を遣ってしまうことだ。
つまり、目上の人間が、気を使われないように、残業「したい」のに早く帰らないと、というわけのわからない状況が生まれる。
残業の良し悪しは、一般論としてはいろいろ言われているが、個人レベルでは、まさしくひとそれぞれだろう。
自分のペースでゆっくりやったほうがうまくいく人もいるはずだ。
もちろん、休憩もとらずにできるだけスピーディーに業務をこなしたほうがうまくいく人もいる。
残業が良い悪い、ではない。
残業をするかしないかを自分で判断できない風潮が問題なのだ。