日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

空気を読むことが良いか悪いかではない

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昔は”KY”という言葉はなかった。

今ではほとんどの人が知っているだろう言葉”空気が読めない”の略だそうだ。

略の中身が否定というのも不思議なものだが(空気が読める、でも”KY”)、まあ略語にロジカルなものを求めても仕方がない。

言葉なんて、ミシンもワイシャツも本来の意味とは全く違っているが、今使われている意味で確立されていて、特に問題は無い。

 

今回のテーマは、「空気」

空気の力の影響を受けていない人なんていない

当たり前だが、ここでいう空気は、科学的な意味での空気ではなく、雰囲気の方の空気だ。

空気の力を馬鹿にしてはいけない。

普段の生活の中で空気の力は大いに作用している。

会社に行けば、社内の空気というものがある。

家ではぐうたらしている人でも、会社に行ったらきちっと業務をこなす人は少なからずいるが、これも空気の力だろう。

アメリカのyahooが数年前に在宅勤務を禁止したのは、その空気の力を利用してでのことだろう。

会社でなくとも、学校でも、井戸端会議でも、どこにでもその場の空気というものがあり、人は多かれ少なかれそれに影響を受けている。

戦時中は、その空気の力で自らの命を絶った人すらいたのだ。

空気読めないから読まないへ

自己啓発系の書籍をみると、”KY”という言葉が流行り始めてしばらくしてから、空気が読めないことはわるいことではない、といった類のタイトルが並んだ。

これは、自己啓発系の書籍にはよくある現象のようで、つまり、はやりの考え方に逆行するタイトルが増えるというもの。

 

こうなってくると、空気を読むこと、読まないことが良いか悪いかわからなくなってしまう。

 

自分の意見を言えば、空気を読んで行動したい人、空気を気にせず行動したい人、各々いて良いと思う。

つまり、自由にすればよいではないか、ということだ。

しかし、そのために最低限必要なことがある。

それは、空気を知ることだ。

空気を作った人たちは、まず空気を知る

空気を読む人は、当然空気を知っていないといけない。

しかし、世に名を残した偉人は、そのほとんどが空気を読んだ人ではなく、空気を「作った」人だ。

そして、空気を作るためには、まずそこにある空気を知らなくてはいけない。

 

会社を例にとろう。

新入社員が入社してすぐに、若い社員が意見を言えない空気を非難しても、おそらく聞き入れられない。

なぜなら、その人のわがままだととられるからだ。

では、若い社員が上司に対して意見を言えない空気は健全なのかといえば、それはやはり健全でない。

だとすれば、なぜ意見を言えない空気があるのか、ということを考えなくてはいけないだろう。

それはつまり、空気を知ることだ。

 

空気を知ったうえでその空気を壊す、作るのと、単純な”KY”は、似て非なるものだ。

 

 

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