自分自身は、自他共に認めるアーリーアダプターだ。
要するに、新しいものが好きだ。
今まで使ってきたものと、新しく出たものを比較して、どちらのほうが良いかは一般化できない。
しかし、大切なのは、どちらが良いかはできるだけ公平に検証されるべきだ、ということだ。
今回は「電子書籍」について
電子書籍発売に心踊る
冒頭に書いたとおり、電子書籍が発売されたときは心が踊った。
当時その詳細は分からなかったが、要するに紙の本がデータになるということだろう、ということはわかった。
読書が好きな自分にとっての悩みは、とにかく本はかさばること。
それが理由で、本棚も買い足さなくてはいけないし、持ち運ぶのにも不便。
少し長めの旅行に行く際には、本を数冊持っていくが、その重さに反してすぐに読み終わってしまう。
データになるということは、それらの悩みが一気に解決される。
後は、それが紙の本と同じような感覚で読めるかどうか、だ。
体験して、普及するぞと思ったが
最初は若干の違和感があったものの、すぐに慣れた。
電子書籍でしかできないこと(例えば付箋をつけたところのみを抽出、わからない単語をその場で検索、など)もあり、書籍の時代も、電子の方にシフトしていくだろう、と強く感じた。
しかし、物事はそう単純ではなかったようだ。
紙の質感やインクの匂いが良い。
液晶で疲れる。
所有感に乏しい。
こういった類の感想も多くあり、自分が思っていたほど普及はしていない。
比較は公平に
上記の理由で電子書籍反対派を否定することはしない。
感想は各々が勝手に言って良い。
しかし、上述したように、比較はできるだけ公平にするべきだと思う。
そもそも、生まれた頃からずっと紙の本を読んで慣れ親しんできたというアドバンテージがあるので、それが突然電子になったら、慣れ親しみという意味では圧倒的な差があるが、それは公平に比較しているとは言えないだろう。
それを言い出すと、何でもこれまで使ってきたものの方が良く、新しいものは何も開発されなくて良い、という事になってしまう。
それは少しさみしい社会だ。
比較は純粋に
また、比較は純粋にするべきだと思う。
例えば、リンクにもあるように「目が疲れる」という意見もあるが、これは実際に読んでみて実感すべきことで、一般化はできないだろう。
自分にとっては、文字の大きさを自由に簡単に変更することができる電子の方が、色あせた、ルビも振っていない、文字も小さい紙よりも目の疲れは少ない。
大切なのは、目が疲れるかどうかを自分で試してみることだ。
自然淘汰はどんな分野にもある
本が売れなくなると、町の本屋がなくなってしまう、という意見もある。
これはおかしな話だ。
より便利なものが生まれ、そちらの方が大衆に選ばれたら、それまでのものは自然淘汰される。これはどんな分野でもそうだ。
新人アーティストが出てきたら、中堅や大御所の売上が減るので、新人はデビューさせるべきではない、と言っているのと同じだ。
それに、本屋を残すために電子書籍を否定するのならば、電子書籍開発に携わった人は理不尽に報われない。
本屋だけを特別扱いはできないだろう。
本屋がその世界に残りたいのならば、電子書籍では体験できない「何か」を消費者に提供し、大衆に認められる努力をすべきだ。
または、電子書籍を否定するのではなく、コラボレーションするのも一つだ。
(後者の方法は、既に始めている本屋もある)
公平さや純粋さを前提とすれば、大衆の選ぶものは、概ね正しい。
さて、電子書籍はさらに普及するのか、衰退するのか。
今後が楽しみだ。