結構前から、これは話題になっているが、自分もそれにのっかって意見を述べてみる。
といっても、以前のこのブログの記事を読んだことがある方ならば、なんとなく書く前から予想がついているかもしれない。
修行は必要かどうか、ということと、徒弟制度は別で考えるべき
どんな職業でも、それで生計をたてられるレベルに達するには、相当の時間が必要だろう。それを修行と呼ぶのならば、修行は必要だ。
知識を得て、技術を学び、経験を積む。
この部分は、どんな人でも同じ考えではないだろうか。
ちがうのは、その方法だ。
徒弟制度では、師匠について、そのとなりでさまざまなことを学ぶ。
そうでない人は、Googleで調べまくって、学ぼうとする。
あるいはリンク記事中の「寿司アカデミー」のような機関を利用する。
結局、一番学ぶことが多いのは現場
しかし、どちらにしても、自分でなにかを始めてから学ぶことの方が多いはずだ。
徒弟制度を利用した場合、師匠から認められ、独立したその日からなんでもうまくいくかといえば、おそらくうまいくいかない。むしろ、それから学ぶことの方が膨大だろう。
一方Googleやアカデミーで学んだ人が、現場に立って仕事をするときに、ネットで得た知識や授業でやった実習経験だけでうまくいくかといえば、これも多分うまくいかない。
結局は同じことだ。
師匠につく or ネットで調べる(寿司アカデミーで学ぶ)
↓
師匠に認められ独立 or ネットに載っている知識をほとんど得て(または卒業して)独立
↓
現場の厳しさを知る
つまり、議論するほどのことでもない。
ただし、あと少しだけこの議論に関して考えれば、どちらかを選ぶべき、的なものは存在しないし、その選択ですら自分で考える必要があるということだ。
選択肢が増えたこの時代は、昔より良い
その選択を自分でするからこそ、自己責任で本当に悩んで考える。
例えば、徒弟制度を利用して、認められ独立したあとに、うまくいかなかった場合、徒弟制度だけに頼った(他の選択肢を考えなかった)自分を省みる必要はある。
同様に、徒弟制度を否定して寿司職人になったあとうまくいかなくなったときに、友人の徒弟制度を利用した寿司職人がうまくいっていたら、徒弟制度にも一定の効果がある、ということは認めるべきだ。
大きく言えば、選択肢はたくさんあればあるほど良い。
徒弟制度を利用しないと寿司職人になれなかった時代に比べれば、その他にも寿司アカデミーを利用したり、完全独学で学んだり、という選択肢があるこの時代は良い時代だろう。
文化的に良いかどうかは別にして、ある選択肢を選択する人が減っていけば、その選択肢自体が淘汰される。
これを受け入れていく時代であることだけは、否定出来ない。