まだ途中だが、先日も紹介したこの本を読んでいる。
正直言って、この本はヤバい。
もちろん、ここで言うヤバいは、良い方の意味だ。
選挙、投票は大切、だが、、、
当ブログでは何度も選挙の重要性を訴えてきた。
それは、民主主義の中でも代議制を採用しているので、民主主義をうまく機能させるための唯一の方法が選挙だと考えているからだ。
この考えは今なお変わらず、これを読んでいる有権者は、とにかく選挙に行ってほしいと願っている。
しかし、一方こういった堅めのブログを読んでくださっている人以外の人も社会を形成しているのであって、現実的に考えた時に、全員参加の選挙というのは不可能かもしれない。
それに、選挙にいかない、という選択肢も許されているからこそ日本では投票しないことが法に触れることはない、ということになる。
オーストラリアの様に投票しなかったら罰金、という決まりを作り、投票率を上げることもできるかもしれないが、投票しないという権利を法的に否定するそのシステムが民主的なものなのかどうかは疑問が残る。
自分の欲望は意識できているのか
さらにこの本で説明されているのは、端的に言えば、「人の欲望は、本人にすらわからない」ということだ。
選挙にいって投票するという行動は、明らかに意識的な行動だ。
しかし、意識的な行動以外、つまり無意識が本人の行動、考え方、欲望を決定付ける割合は否定出来ないところか、むしろ無意識の方にこそ本質的な欲望が宿っている。
従って意識的な行動である選挙、投票の結果がどの程度うまく機能するかは疑問視せざるを得ない。
これは、なるほど確かに、と言わざるを得ない。
無意識が漂うインターネット、ビッグデータの活用
ではどうするか、という時に、筆者はインターネット、SNSがある現代ならば、ビッグデータを活用するのが良い、と訴えている。
本書の中にも例としてあげられているが、わかりやすいのはGoogle。
Googleの検索窓口に調べたいキーワードを入力する時点で、それを行っている本人は、そのキーワードをキーワードランキング上位にランクインさせたい、と考えているわけではない。
しかし、ログインした状態ならば、そのキーワードを入力した人の性別、年齢、居住地などと紐付けて、データが蓄積される。
このように蓄積されたデータは、無意識の塊であり、相当に純度の高いデータとなる。
(流行語大賞とGoogle検索ワードランキングのどちらが純度が高いかを考えればわかりやすい)
Google検索の場合は、そもそもGoogleで検索をする層という偏りがあるが、同様の発想で全人口をカバーすることができれば、まさに純度の高い「超民主的」なデータとなり得るだろう。
ちなみに、タイトルの一部である「一般意志」は、無意識の塊と言い換えても良いかもしれない。
2.0とついているのは、ルソーが考えた時代にはなかったインターネット的な技術をつかって、それが「考え方」だけにとどまらず実装可能、ということを示唆している。
一般意志に対する言葉が、現在の選挙、投票というシステムから選択される「全体意志」で、著者は、政治に無関心な層が多くいることも認めているこの国では、全体意志を軸とした政治、統治は不可能だ、と説く。
国内にとどまらず、世界情勢が緊張化していく中で、こういった考え方はとても有用だと思う。
考え方にとどまらず、実装可能なことが多々あるようでならない。