時期的に、帰省者が多い。
店に迷惑にならない程度に飲みに行く。
久しぶりに会った友人との会話は、決まって近況報告から。
年も考えると、当然のように仕事の話に。
友人は言う。
後輩に仕事に一生懸命になることの素晴らしさに気づいてほしい。そうすれば、仕事が辛く苦しいものではなく、やりがいのあるものになり、人生が充実する。
仕事が辛いものというのは間違いなく固定観念だ。
職業選択の自由があるこの国では、辛くない仕事を選べる。
幸福の必要条件は辛さ、苦しさではない。
これを愚痴るのは、後輩が仕事にやりがいを感じていないように見えるからだろう。
尋ねるとやはりそうで、休日出勤や残業に対する不満が多いという。
電通社員自殺問題以降、過剰な労働時間が問題視されているが、問題は時間の長さではなく強要だ。
友人は休日出勤や残業に対する不満も分かるが、それをやりがいにしてしまえば得だ、と主張する。
全くもってその通り。激しく同意。
話変わって、友人の休日の過ごし方や、普段の食生活を聞くと、休日は仕事の疲れを取るために、ほとんど外出しない、食生活は、外食やコンビニがほとんど、とのこと。
さて、休日に家から出ないことや、外食・コンビニ中心の食生活が悪いかどうかといえば、別に悪いことではない。食生活においては、たしかに健康にはよくなさそうだが、少なくとも現代においては「よくいるタイプ」の範疇だろう。
一方、健全かどうかと言えば、健全とは言い難いのではないだろうか。
はたしてこの友人をみて、後輩は憧れられるのか。
仕事にやりがいを感じるくらい一生懸命になり、生き場所の中心が自宅ではなく職場になるくらいまで仕事に没頭する。
その結果(関連が無いとは言えまい)休日の過ごし方や食生活は、決して健全とは言い難いものになっている。
自分が後輩の立場なら、たしかに仕事にやりがいを感じたいものの、その結果が不健全なものになるのなら、別の方法を模索する。
特に現代ならば、やりがいを感じながら健全な日々を過ごしている人を見つけることも簡単だ。
価値観は多用しているし、情報は無料で国境すら超えて手に入れられる。
今年最後の日である今日、いつものように働いている人たち。
それが人から強要されたやりがいではなく、自発的なやりがいであることを願う。
雇用側においては、競合他社よりも長い時間働いていることによる優越感ではなく、競合他社よりも社員に自由な時間を与えている、という優越感を感じる価値観もあってよい。
消費者という立場でならば、いつも行く店が閉まっているのを見た時に、そこに不便を感じるのではなく、ちゃんと休んでもらえてるな、という気持ちを持ちたい。
そんなことを考えた年の瀬。
この堅いブログを読んでくださっている皆様。
本当にありがとうございます。
日々ブログを綴ることが楽しいのは、読んでくださっている皆様の存在あってこそです。
どうか良い年をお迎えください。