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なんとも悲しいデータです。
読書は私にとって欠かせないもの、音楽と共に人生の軸になっています。
音楽について言えば、それは確かに素晴らしいのだけれど、みんながみんな聞くべきだとは思いません。
図書館など静かな空間で、微かに流れているBGMですらクレームを言う人がいるそうで、それでクレームを言うくらいならば別の図書館にいけば、とは思うものの、万人に必要なものではないので、仕方がないのかもしれません。
そもそも音楽は要・不要で聞くものではなく、楽しむものですからね。
楽しむが行き過ぎた自分のような人間にとっては、もはや必要と言って良いレベルですが。
一方、読書は絶対必要、、、とまでは言えませんが、必要に限りなく近いのではないでしょうか。
読書量やどんな本を読むか、ということには個々人の幅があって良いと思いますが、ゼロは幅の外です。
読書量や書籍購入費が減り続けている理由も、なんとなく感じるところはあります。
インターネットでしょう。
読む本を大雑把にフィクションとノンフィクションにわけて、まずはフィクション。
これは、エンターテイメント、芸術といった分野に入ります。
インターネット普及以後は、、少なくともエンターテイメントの世界がコンピュータとネットワークを通じて爆発的に拡がったと言えます。
相対的に、ノンフィクションにつぎ込む時間もお金も減るでしょう。
なんといっても、インターネットは無料みたいなもんです。
ノンフィクションも同様です。ニュース、ブログ、SNSの様々な情報を多様なソースからかき集めれば、本でしか学べないことは相対的に減ります。
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それでも、私は読書を勧めます。
インターネットを通じたエンターテイメントや情報取得が拡く速いものとすれば、本を読むという行為は、狭く深いものです。
本が本である根拠は、電子書籍反対派が言う、インクの匂いがとか、ページをめくるという行為が、とかということでは全然なく、書いてある内容です。
インターネットを通じたものと比べると、一つのテーマ(フィクションならば物語性、ノンフィクションなら議題)の掘り深め方がとにかく深い。
一つのテーマに関して、1冊の本よりも深めて書いてあるコンテンツは、インターネットでは見たことがありません。
その深さが本の魅力です。
もし同等の深さを持っているネットコンテンツがあったら、それはもうネット上の本と言ってよいと思います。
(実際そういったものもありますね)
本は、その深さの代償として、早さや安さがネットコンテンツに劣るかもしれません。
そして、早さや安さももちろん大切で、無視できない。
だから両方必要だと思うのです。
何かとスピード感のある時代で、それについていくことが社会から強要される時代だし、それはそれで悪いことではありませんが、だからといって深く考えることの重要性が消えるわけではありません。
これらは、どちらかではなくどちらも必要で、「ネットがあるから本はいらない」とはならないと思います。
本好きとしては、何でも良いので本を読む人が増えたら良いな、と思います。