日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

家族のありかたって名前で決まるんですか?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180606-00000006-withnews-soci

この記事に出てくる男性に関して言えば、正直見通しのあまさは否めません。 夫婦別姓問題以前に、名前が変わるということはとても大きなことであることは確かです。 いやむしろ、それが大きなことだからこそ観念論になりすぎないように冷静に議論しなくてはいけないことだと思います。

記事を読むと、名前が変わったことによる苦労が読み取れます。しかし、考えてみれば夫婦同姓が問題視される前から、結婚した女性は同様の苦しみを味わってきたわけです。しかも、社会に問題意識が無いために、味わうべくして味わう辛さ、苦しみという捉えられ方だったわけです。

国連から是正勧告が出ており、世界にも夫婦同姓を強制する国は少なくなりつつあるこの時代、それでも夫婦別姓の選択肢すら与えないという法律の、納得いく根拠を聞いたことがありません。 そこにあるのは大抵、昔からそうだったという思考停止の懐古主義か、姓が違うことによって家族観が崩壊するという、漠然としたものばかりです。 やれやれ、です。

私は世界の潮流がそうだから、日本もそうしろ、ということを言っているわけではありません。 日本には日本独自のルールもあってよいし、そのほうが国民性に照らし合わせて良いということもあるでしょう。

しかし、はたしてそうなのか、という議論はなされるべきです。 そして、繰り返しますが今議論されている案は、「選択的」夫婦別姓です。

昔からそうで、それが日本を良くしてきた、家族観は夫婦同姓によってもたらされる、と思う人は、自分自身、もしくは自分の近しい人にそれを訴えて、夫婦同姓にしてもらえば良い。 私は、なぜその価値観を、一人残らず日本全国民が従わなくてはいけない法律に書く必要があるのか、ということです。 法律に夫婦同姓を書くということは、夫婦同姓によって家族観がもらされるということを、日本国民は一人残らず感じなくてはいけない、ということになるんですよ。正気ですか。

離婚だって再婚だって法律では認めらています。離婚や再婚が良いことかどうかはわかりませんが、こういうことはいろんな事情や背景が複雑に絡み合うので、法律のような絶対守らなくてはいけないものに書くとリスクも多いわけです。だから、簡単に言えば、「法律に書いていないから、場合によってはあり得る」という選択肢を残しているということです。

では夫婦同姓、別姓はいかがですか。 いかなる事情、背景をもってしても、例外なく同姓にしなくてはいけない、もし別姓にしたかったら唯一の方法が離婚しかない、ということですが、腹が立つほど納得がいきません。

今、選択的夫婦別姓を取り入れたところで、人や社会の価値観はすぐに変わらないものなので、やはり殆どの夫婦は夫婦同姓にするのかもしれません。 しかし、だから法律を改正する意味がないかといえば、そうではありません、そこに選択肢が合法的に残されているからこそ、その苦しみや辛さから開放される人がいるとしたら、その選択肢は残しておくべきじゃないでしょうか。 もちろん、そのデメリットも考えなくはいけませんが、選択性という性質を考えればそのデメリットは限りなく少ないと思います。