そう、あれから25年です。
こないだ成人式を迎えた方たちは、あの震災をリアルタイムで経験していない、と思うと、長い月日が流れたことを感じずにはいられません。
阪神大震災も東日本大震災も、私は地理的に遠いため、直接の被害はありませんでした。
しかし、報道を見て、そのあと世の中が動いていくのを見ていくうちに、それは鈍い痛みのように感じ始めました。
直接被害にあわれた方、大切な人を亡くした方の痛みは、そんな抽象的な表現が腹立たしくなるほどのものでしょう。想像できるという方がおこがましい。
地震という、人間の力ではまだ到底太刀打ちできない現象、それに起因する被害と悲しみ。
私たちは、それに見合うだけの学びを得ることができたのでしょうか。
表立って変わったことはあります。
建物の耐震設計についても見直されましたし、人々の防災意識も確実に上がったでしょう。
そういえば、取っ手蛇口の水道が上げ止め式から下げ止め式に変わったのは、阪神大震災からだそうですね。
気づいたこともあります。
レスキュー隊に対して、過酷な状況にも関わらず「ご迷惑をおかけします」と感謝の意を伝えた被害者の方々。
避難所での秩序維持。
これらは世界の人々に「奇跡」とさえ言われ絶賛されました。
私たち日本人は、自分たちが思っている以上に素晴らしい人格を持っています。
ただ、最も大きな学びは、やはり人間には太刀打ちできない、ということを再認識したことだと思います。
テクノロジーが人の幸せのために発展するのならば、それは地震をも克服するかもしれません。
しかし、地震以外にも人が太刀打ちできない現象はやまほどあります。
冷静に考えてみても、それらすべてを克服するまでに要する時間は、人類の歴史とテクノロジーの進化速度を見ても、気が遠くなるほど長い。
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人は忘れる生き物です。
暦にはどういう意義があるのかはわかりませんが、忘れていく悲しみを思い出すきっかけに暦がなり得るとしたら、その意義は大きい。
実際に、だから私も今日この日にこの記事を書いているのです。
人は忘れる生き物、これもまた地震と同じく、防ぎようがありません。
だから、忘れないように工夫し努力するのです。
それを社会全体でやれば、ほんのすこしだけ物事は良い方向に進むのかもしれません。
亡くなられた方々に、改めてご冥福をお祈りします