日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

政治の決断〜トリアージに似ている

スガシカオの炎上した理由が意味不明 - オトニッチ-音楽の情報.com-

 

その通り。意味不明です。

 

今は、まさしく国難です。

人類の知恵を絞って、なんとか乗り切らないといけません。

 

その過程で批判が出るのは当然、というよりむしろ健全。

 

ただ、その批判は最終的に最適解にたどり着くプロセスでないと、本当に意味がない。

 

それから、、

 

マスクにしても給付金にしても、「税金の無駄遣いだー」「一律給付にしろー」と叫んでいる人が多い。

確かにそのとおり、と思うところもありますが、一般の人がちょっとだけ考えてわかる反論なんて、決定への過程で普通に想定されているはずです。

 

少なくとも私は、国の決定に関わっている人たちよりも自分の方が頭が良い、なんて到底思えません!

 

いろいろな議論をした上で、この決定がなされたことは事実です。

こんな事態なので、議論にそれほど時間をかけられない、という事情もあります。

だから、決定された事柄が、まっとうな批判にあたることもあるでしょう。

 

それでも政治は決断しなくてはいけません。

それは医療におけるトリアージと似ていると思います。

 

例えば一律給付にしたとして。

それによって税金が足りなくなって、アフターコロナで増税されて、経済が回らなくなって、なんてことだって想定されているでしょう。

どちらの選択をしても誰かが傷つきます。満点はない。

 

だから、こういう事態では多くある選択肢の中で最も点数の高い選択をします。

でも、その点数は相対的に高くても、絶対的には低くなりがちです。

40点と38点と32点とか。

 

私は、国と決断に無批判になるべき、と思っているわけではありません。

ただ、ギリギリの選択をしているのだ、ということはわかった上で批判をしないと、単なる罵声で終わります。

 

罵声が世の中を変えるとまずいでしょ?

大きな声の人、力が強い人が日本を牽引することを善とする人なんているんですかね?

話し合いが全く通用しない国家もありますが、日本は議論で物事を決定し、運営していく。

そういう国であってほしい、と思います。

 

批判の意見を最も効果的に示せるのは、投票です。

今の政権の決定事項を批判しつつも受け入れ、次の選挙で思いっきり審判を下せば良い。