箸とフォーク、どっちがツールとして優れているか。
こういう何の損得もない議論を知人とするのって面白いですよね。
で、先日この議論をしていたときに気づいたことがあるので、書いておきます。
実際にこの議論の内容を例に出しますね。
私は、フォークの方が優れていると思います。
理由は、使いこなす簡単さとできることの多さをかけ合わせると箸を上回るから。
箸にしかできないこと、たとえば「つまむ」などありますが、その点「掬う」ことに関してはフォークの方が上と考えると、できることの多さに大差はない。
ですので、あとは使いこなす簡単さですが、これは言わずもがな。
でも、気づいたこととこの内容は関係ないんですよね。
気づいたことは、私の意見は一般論だということです。
それが当たり前すぎて自分では気づいていませんでした。
どういうことか。
私は、上記内容を伝えている途中で、
「でも、俺は箸の方が好きなんだけどね」
と言ったんです。
すると相手が
「え!じゃあなんでフォークという意見になるの?」
と。
いや、だってこの議論って私がどっちが好きかどうかということじゃなくて、一般的にどっちがツールとして上か、という議論なんじゃないの?
と思ったのですが、これって普通じゃないんですかね?
私の好き嫌いと、でも一般的にはこう、という意見がずれることって多々ありますが、そういうのって変ですか?
すごく拡大して考えると、、、
限りある財源をつぎ込む対象を、高齢者からより教育の方に回すべき、という意見と、でも年金や医療に回されるお金が減るのは嫌だ、という意見って同時にあるものだと思います。
そして、社会は一人ひとりが、全体のために少しずつゆずりあう、助け合う、で成り立つので、自分の意見と社会としてこうあるべき、という意見がずれるほうが普通だと思っているんですよね。
もちろん程度や質の問題もありますけどね。
みなさんはどうですか?