情報を広めるのって難しい、という話です。
私はどちらかというと社会的な記事やブログが好きで、プロの作家さんやジャーナリストが出すものは「なるほどなぁ」と思いながら情報収集しています。
ただ、こういう記事って本当は、こういう記事を読まないような人にこそ届いてほしいと思うんです。
例えば、このブログでは幾度となくとりあげている、選択的夫婦別姓の議論。
議論が深まるのはよいことですが、深まるのと、ただ長引いているのは違います。
それを長引いていると感じるのは、あまり意味のない議論になっているときです。
その代表が、すでに出し尽くされている議論を繰り返すことですね。
何を言ってるのかというと、選択的夫婦別姓の議論において、同姓か別姓かどちらが良いか、の議論がいまだに見られるということです。
選択的夫婦別姓の議論は、別姓の選択肢を与えるか与えないか、というところが重要です。
あなたが別姓に賛成か反対かではなく、あなた以外のすべての人に同姓を強要すべきか、です。
だから「選択的」とついているのです。
この論点は、ニュースや社会派のブログ、記事を読んでいる人ならば、正直誰でも知っています。
だからこそ、まだこの論点に達していない人にはすぐにそういった情報をインプットしてほしい、と思うのですが、そういう人はこういったいわゆる真面目な情報にアクセスしない、というじれったさがあります。
具体的な個人名をあげれば、私が敬愛する佐々木俊尚さんの意見は、いろんな角度からの問題提起として、幅広い層の人達に耳を傾けてほしいと思うのですが(耳を傾けるのと、意見に賛同するのは違います)、佐々木さんのアウトプットする情報を耳にしてほしいと思う層は、こういう情報にはアクセスしないんですよね。
だから、情報を広めるのって難しいと思うのです。
今ほど情報が出回ってない頃は、家でなんとなくついているテレビから、自分の好みと関係ない情報が耳に入ってきていたのかもしれません。
ところが、今は入ってくる情報を意図的にフィルタリングできます。
それは、情報に対して受動から能動へと切り替わったという意味で良いことでもありますので、宿命的な弊害かもしれません。
AI等の技術を使ったニュースサイト等においては、勝手にフィルタリングされたコンテンツが上位に表示されます。
この場合は無意識なのが厄介で、いつも上位に表示されるから、それ以外の情報インプットチャンネルを持っていない場合は、世間一般でも上位の情報だと認識してしまう、という怖さがあります。
結局、情報のインプットはできるだけ幅広く、ということを普段から心がけるしかないんですけどね。
特定のテレビのニュースだけ、特定の新聞だけ、特定のサイトだけからしか情報をインプットしていない人は気をつけたほうが良いかもしれません。
もちろん、私も含めて、です。