音楽とはいえ教育関連にいたことも多いので、何かと教育には思う所が多い。
教育は国家百年の計だ。
これからも本当に大切にしていかなければならないだろう。
そして、今日のトピックは「経済」だ。
経済のことを無視して生きていくことはできない
経済のことは、いつ誰に習うだろうか。
書店に行くと「誰でもわかる経済」や「30歳から始める経済の勉強」などの本が平積みされている。
不景気という理由もあるだろうが、実際に経済のことを無視して生きていくことはできないから、それなりの需要があるのだろう。
しかし、少なくとも日本の義務教育の中で経済のことを学ぶことはほとんどない。
学校を卒業後に一生因数分解をしない人はたくさんいるのに、これは義務教育で教えている。
一方、大人に経済に無関係で生きていくことはほとんど無理だ。給料をもらうし、税金も払う。
ローンを組むことあるだろうし、その金利を考えなくてはいけないこともあるだろう。
なぜか、とその反論を考えてみた。
学生にとっては複雑すぎるから、という理由
確かに、日本のように高度に発達した経済を把握するのは、学者でも無い限り難しいし、必要もないだろう。
しかし、なにも全てを教える必要はないのだ。そもそも学校教育で教えることは、全て初歩の初歩でしか無い。
社会の時間に「資本主義」という言葉は教えるが、その内容をもう少し掘り深めて、その経済的なメリット、デメリットを教えるくらいのことはするべきだ。
税金の仕組みも、税理士ほど詳しくなる必要はないし、そもそもなれない。
が、納税の大まかな内容くらいは教えるべきだ。
そのくらい教えている、という人もいるが、もし教えているとしたら、カリキュラムに相当の問題があるだろう。
義務教育を受けているにも関わらず、その内容を理解している大人をほとんどみたことがない。
現場で学ぶしか無い、という理由
これは経済に限ったことではない。
どんなことだって、学習するよりも現場で経験するほうが、結果的に能率も良いし、実にもなっている。
しかし、これを言い始めると「学校教育」という存在自体が危うくなる。
学校教育の存在自体を非難する人も多いが、自分はそうは思わない。
掛け算の九九は、99個の式を丸暗記しているのと同じだ。
「しごにじゅう」という時に、頭のなかで4を5回足している人はいないだろう。
ポイントは、掛け算九九を学んだ時は、「しごにじゅう」という言葉を丸暗記しただけで、4を5回足したわけではないが、後でその中身を理解した、という順番でも構わない、ということだ。
つまり、まず型を教えて、後から中身を掘り下げるという方法もあり得る。
経済のことも、こういった側面から、とりあえず型だけでも教えればよいと思う。
現在の教育では、型を教えることなどない。
そもそも、その名の教科がないのだから、教えられるワケがない。
給料明細をじっくり見てみると?
日本人の多くはサラリーマンになる。
サラリーマンは、就職時に提示された給料を毎月振り込まれ、給料明細を別にもらうが、その明細をじっくり見る人はどのくらいいるのだろうか。
総額は提示された金額だが、内訳で「給与」と「◯☓手当」に分かれていたりする。
その意味は勿論あるのだが、気になる人はあまりいない。
また、各種税金も給料から差し引かれる。
自動的に差し引かれるから、自分が年間にいくらくらいの所得税を国に納めているかの実感が無い。
これにより、税金の使い方へのシビアさが減る。サラリーマンは、間接税である消費税よりも直接税である所得税や法人税の方を多く払っているはずなのに、消費増税の方が気になる。それは、自分で目の前で消費税を払うという行為をするからだろう。
お金の話は積極的に、前向きに
お金の「話」は、避けたい人が結構多いように思う。
また、小学生に聞いた「お金持ち」のイメージは、悪人のイメージがかなり上位らしい。
しかし、この国で人が生きていくのに、経済のことは不可避だ。
だとすれば、積極的に、前向きになるべきだ。
「こういった理由で、自分のギャラは◯☓円です。諸経費は実費精算です。」とはっきり伝えることが、なぜはばかられるのか。
「ボランティアではできません。」
と言って仕事を断るのが、なぜおかしいのか、不思議でならない。
もちろん、音楽に限った話ではない。
誠実にお金と向き合っていきたい。
お金持ちが良いと言っているわけではない。
お金のことをしっかりと捉えるようになるべき、ということだ。
その準備段階で、小学生のころからお金のことも、歴史上の人物を教えるくらい普通に教えるべきだ、と思う。