日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

音楽専門学校の卒業資格??

音楽専門学校の生徒から、単位取得の心配をしている、という話を聞きました。

出席や成績によっては単位が不足して、卒業が危ない、ということです。

 

はっきり言っちゃいますが、音楽専門学校の卒業資格なんて、ほぼほぼ役に立ちませんよ。

 

高校や大学は、ある程度役に立ちます。

高校中退者に対する風当たりはいまだに強い。

実際には中退の仕方にもよるのですが、現実には厳しいものがあります。

 

また、大学は(これもまた健全とは言い難いですが)就職との関連があります。

企業への就職を考えた場合は、やはり中退よりも卒業のほうが有利でしょう。

 

専門学校の中でも、分野によっては、その方面への就職率がとても高い場合があります。

その場合は卒業資格は重要でしょうね。

先日行った美容室で美容師さんに聞いたんですが、美容師さんって100%専門学校出身とのこと。

他、公務員専門学校や、歯科衛生士専門学校とかも同じかもしれません。

 

では、音楽専門学校ではどうでしょうか。

 

音楽専門学校と一言いっても、さらに細分化されていて、自分が所属しているアーティスト育成、ミュージシャン育成分野以外のことは、正直よくわかりません。

 

ただ、すくなくとも私が所属している分野では、卒業資格が役に役に立つことはほとんどない、と言って良いと思います。

 

だって、ミュージシャンって就職じゃないですからね。

 

どこかに面接に言って、内定もらって、働き始めるわけじゃありません。

音楽活動を通して、業界の人の目にかかり、事務所に所属してのしあがっていく。

もしくは、SNSなんかを通じて発信し、ファンを増やして利益を出していく。

こういった人生設計になります。

就職しているミュージシャンってなんですか??

 

ミュージシャンの人生設計図に、卒業資格が役立つことなんて、まずもってありません。

〇〇音楽専門学校を出たから、デビューしやすい、なんてあるわけないじゃないですか。

 

誤解しないでほしいのは、音楽専門学校に意味がない、と言っているわけじゃないです。

卒業資格には効力がない、と言っているのです。

 

だから、無遅刻無欠席、学校が用意する課題はすべてやる、といったいわゆる優等生タイプと、ほぼ毎日遅刻、なんなら時々来ない、いや結構来ない、課題なんてやったことない、というタイプが、専門学校を出たあとにどうなるかなんて、まったくもって未知です。

 

音楽専門学校に意味は、と問われれば、それも色々ありますが、一番はなんといっても出会いです。

先生だけじゃなく、同僚や先輩、後輩との出会い。

やっぱり音楽を志す人ばかりが集まっているので、少し高くなった鼻を折ってくれることもあるし、落ち込んだときに助けてくれる友人にも出会えます。

数百人という単位で、音楽を志す人に出会える場は、専門学校以外にはないと思いますね。

 

それが、本人の音楽力アップに繋がることがあるから、意味はあります。

卒業資格なんていう肩書とは効力も重さも意義深さも全然違います。

 

だから、単位なんて気にせず、専門学校に行きたいときだけ行けば良い。

それで良いんです。

音楽学校に入りたいと思う人は、ぜひ読んでください

音楽学校の学費っておおよそどのくらいかご存知ですか?

 

2年制で、200〜300万円というところです。

高いと思いますか?

 

他の専門学校と照らし合わせれば、そんなに高額でもありません。

専門学校は音楽以外にも、公務員、美容師、医療、、、多くの種類があります。

 

ただ、音楽を含む芸術分野に関しては、少し様相が違うと思っています。

それは、就職が目標じゃない、ということです。

 

200万円以上の学費を払って「音楽は趣味で」という人はまずいないでしょうから、入学時の目標は音楽での経済的成功です。

 

でも、音楽で経済的成功をおさめるといっても、楽器屋さんの店員やレコードショップの店員になるというのとはちょっと違うのではないでしょうか。

自分の曲や演奏で仕事をしたい、お金をもらいたい、というのが一般的です。

 

これは、就職ではありませんよね。

 

だから、音楽学校は卒業後の進路に関して、「何人就職したか」というデータはある程度開示しても、「就職率」「就職先」まで公開していることはまずありません。

 

当たり前です。ミュージシャン志望の生徒が就職した、となると、これはミュージシャンで大成するという夢を諦めたということになるし、それを見て音楽学校入学を決める人は少ないからです。

(専門学校が卒業生の就職率等を開示しているのは宣伝のためです)

 

 

音楽学校の講師は、生徒に音楽のスキルを教えます。

しかし、卒業近くや卒業後にそのスキルをもって面接を受けたり、就職したりということはなく、結局人前で演奏をし、録音経験を重ねていくしかないのです。

 

そして、これらの行為は音楽学校にこなくてもできちゃうのです。

200万円以上の節約になります。

 

もっと言えば、その半額である100万円をかけて全国のライブハウスをまわりまくることだって多分できます。

ノルマがあったって、交通費がかかったって、宿泊費がかかったって、100万円あれば可能でしょう。

 

音楽学校に行ってスキルを身につけたりや知識を学んだりして2年間過ごすのに200万円。

全国のライブハウスに出まくって生の演奏経験を積みまくって100万円。

 

どちらがミュージシャンとしての糧になると思いますか?

個人でレッスンをするときの準備

楽器やDTMなどのスキルがあがり、誰かに教えても良いレベルになったとき、レッスンでお金を稼ぐのは良いことですよね。

私も音楽教育分野に関わって結構長いです。

 

最初の頃は、何をどう教えて良いかわかりませんでした。

なぜなら、ピアノ以外は習ったことがないからです。

 

楽器習得に関して、独学の方法はまさに千差万別。

取り組む楽曲のレベル関係なく、とにかく好きな曲からやる人。

教則本を使う人。

いきなりストリートやライブに出る人。

 

どんな方法も正解とか間違いとかありません。

結果的にスキルが上がれば、その人にとっては正解だし、やめてしまったら失敗です。

 

人によって違うということは、私が楽器のスキルをあげていった方法が生徒に向くかどうか不明、ということです。

 

最初はこの認識がなくて、なかなか生徒のスキルを上げられませんでした。

無意識に、自分のやってきたことを教えていただけ。

考えてみれば、私は幼少期からピアノを習っていたので、楽器経験が全くない人とスキルアップの経緯が違うのは当然です。

 

じゃあどうすれば良いか。

教則本を使うのです。

 

なんだ、そんなことか、と思うかもしれませんが、教則本を教えるのではなく、使う、というところがポイントです。

 

教則本というのは、著者が研究を重ねて書いたもの、できるだけ多くの人に向けて書いてある場合がほとんどです。

ということは、その順序で教えるのが一般的だということです。

 

楽器教育の場合、座学だけでは不十分だし、動画を見てもわからないことは残ります。

対面レッスンだったら、ここはクリアできます。

もちろん、各チャプターで苦手なところ、得意なところもあると思うので、重点的に取り組むところや、とばし気味でやってよいところなどの調整もできます。

 

全くゼロから教えようとすると、どうしても自分の経験に頼ってしまいます。

私の好きな言葉

「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」

は、教育分野にも言えることですね。

運動会について

娘2人の運動会、コロナということもあって、かなりコンパクトな運動会でした。

各学年2種目(ダンスと徒競走)だけなので、全部で12項目。

かつ、全校の半分ずつ行われるので、ライトな感じです。

 

朝から家族全員分の弁当をつくったり、場所取りでならんだり、ということもなくて、私的にはこの方がよいと感じました。

 

いや、むしろもっとコンパクトに、シンプルにして良いかと思います。

 

まず、最初のラジオ体操は必要ですか?

あんまり意味がない気がします。

 

それから、全員が必ず固定の競技に参加という制度も不要ではないかと。

走るのが遅い子なんて、さらし者ですよ。

あれは思い出したくない過去になるんじゃないですかね・・・

 

そのかわり、全種目の中から最低2つだけ出場すること、という取り決めなんかいかがでしょうか。

走ることが好きだったり得意だったりする子は徒競走の方に出るでしょうし、そうでない子は個人の能力差がぼやける玉入れや綱引きに参加する。

こうすれば、運動会にはみんな参加したことになるし、上記した暗い思い出ができちゃう子も減るかと。

(コロナの最中は無理ですけどね)

 

組体操は、最高2段になってました。これは◎。

3段以上の組体操だったら、保護者の権利をフルにつかって娘の参加を辞退させるつもりでした。

かなりのリスクを背負って得るものがなさすぎでしょう。

 

 

運動会も、コロナによってかなり変わりましたが、私と同じように、このくらいコンパクトな方が良い、と思っている人は、保護者、生徒、先生問わずいるのではないでしょうか。

子供に教育すること〜自分はどうなんだ?

「大人は灯油缶、背負うんですか?」ランドセルを軽くするアイデア商品に批判殺到→小学生の反論がキレキレ(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

 

痛快ですね。

大人側の意見の矛盾点が浮き彫りになっています。

 

私はこの子のように頭よくないし行動力もなかったのですが、昔から同じような疑問をいだいていました。

よくある回答が「大人になったらわかる」ですが、大人になったいまでもわからないことがたくさん。

それは単なる逃げだったのか、それとも私がまだ大人になってないのか・・・

 

 

小学生の子を持つ親ならわかると思いますが、とにかく今の小学生が持っていくランドセルは重い。

昔に比べて、ビジュアルとしてもわかりやすい教科書になっていることもあって、教科書は大きいし重い。

ランドセルと教科書の重さが子供の身体に与える影響。教科書のページ数の推移

加えて、時々パソコンもランドセルに入れるのですが、学校から支給されたパソコンは何年前のパソコンなんだ、というほど厚くて思いし、スペックも低い。

スペックが低くても使えるChromeブックを採用しているのはわかりますが、あのパソコンの重さはため息しかでません。

 

うちに余っている結構昔のパソコンのほうがよっぽどスリムですが、自前のパソコンはNGです。

 

大人の世界では、様々なものがモバイル化し、スリム化しているのに、小学校では時代に逆行。

それを、子供だからという理由だけで正当化するのに矛盾があるのは当たり前です。

 

そもそもランドセルが半強制というのもどうかと思うのですが、それは他の記事にゆずります。

 

famo-seca.com

 

 

この子の反論にでてくる、「大人もやってみて」的な反論には特に共感できます。

 

私が通った小学校では、学校内ではずっと(真冬でも、屋内も)裸足、冷暖房なんかもちろんありません。

 

でも先生は靴を履いているし、職員室は冷暖房完備。

 

裸足なのも、冷暖房がないのも、子供の健康のためだという理由だったと思いますが、もしそれが正しいなら大人は教育現場、その他社会のあらゆるところで不健康なことをしているということになりますね。

 

シャープペンシル禁止は、鉛筆のほうが字が綺麗にかけるから、という根拠があるのかどうかかなり怪しい理由も、100歩譲って認めたとして、じゃあ大人も鉛筆のほうが良いのでは、となるわけです。

 

大人が子供に教育するとき、しつけるときには、自分たちはどうなんだ、と考える癖をつけるべきだと思います。

そこには、大人だから、子供だからという理由で区別すべきことがたくさんあるのも事実です。

お酒やタバコを子供に禁じているのは、成長過程における身体への影響が大人とは比較にならないからです。

 

でも、本当に大人と子供をわけるべきことなのかどうか、と思うことも上記のように多々ありますね。

 

大人だって未熟です。

 

肥満は健康的にも見た目でもよくないと考える人が多いから、ダイエット本はずーーと発売されているのです。

「宿題をしなさい」としつける大人が、やらなくてはいけないことをついつい後回しにしていることなんて当たり前のようにあるでしょう?

そういった趣旨の自己啓発本だってたくさん売ってます。

 

大人ができてないことを子供に教育するな、とは思いません。

それをきっかけに、子供と寄り添い、一緒にやってみよう、という姿勢が大切だと思います。

そうすれば、子供にとってもやっぱり不要だな、と思うことだってわかってきます。

 

冷房のない部屋で何時間も授業を集中して受けるなんて、大人でできる人がいたら見てみたいものです。

そんな大人がたくさんいたら、電力不足は一気に解決するでしょう。

小学校時代の異性の呼び方が変だった、という話

「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

 

あだ名は確かにいじめのきっかけにもなります。

みんなは面白がって呼んでいるけど、本人は苦痛、といった構図は容易に想像がつきます。

 

ところで、こういう記事を見ると、必ず思い出すことがあります。

 

私の母校である小学校は、田舎だからなのか偶然なのか、男女の間に距離がありました。

つまり「あんまり仲良くするものじゃない」という空気があるということです。

 

少しでも仲良くすると、小学生独特の「つきあってるの?」みたいな冷やかしにあいます。

(小学生におけるつきあうの意味もわかりかねますが・・・)

 

その距離感が呼び方にも反映されているのです。

同性は「さん」だったり「くん」だったり、仲が良い場合は呼び捨てやあだ名もありました。そこは普通。

 

問題は異性間です。

異性だと「さん」「くん」、呼び捨て、あだ名はNG。

またもや「つきあってるの?」の冷やかしにあいます。

あだ名や呼び捨てが親密な印象を受けるのは大人も同じですが、「さん」や「くん」でもだめなんです。

 

じゃあ、どうやって呼ぶんだ、となりますが、、、

「〇〇っていう人」

と呼ぶんです。

 

今考えたらすごいですよね。

違和感というか、そこまでしなくても、というか。

とにかく「あなたのことはよく知らない」感を全面に打ち出した呼び方です。

 

大人になってこんな呼び方したら失礼極まりないでしょうけど、当時の私の小学校社会では、それが暗黙のルールでした。

 

中学から地元ではない学校に通って、小学校時代からの友人が一人もいなかったのですが、そこでは異性間であっても呼び捨て、あだ名が当たり前なのを目の当たりにして、心底びっくりしたのをよく覚えています。

 

大学になってできた友人何人かにこの話をすると、同様の現象がみられた学校もありました。

全体的には田舎の学校に多かったようです。

 

〇〇っていう人という呼び方に比べれば、あだ名や呼び捨ての方がだいぶ良いと思いますが、話を戻せば、嫌がっているかどうかを判断するのが難しい以上、「さん」統一はある程度しかたないのかな、と思います。

パスワードは言わない・書かない・教えない

「教師が生徒のパスワードを取りまとめる」そんな異常事態がまかり通る日本の"IT教育"のお粗末さ 学校が「パスワードを他人に教えてはいけない」と教えるべきなのに | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

ため息しか出ませんね。

 

記事にも出てきますが、そもそもパスワードを紙に書くこと自体が危険。

 

私の両親は、手帳型スマホケースのポケットにスマホのパスコードを書いたメモ紙を入れています

何度も注意したんですけどね。

 

これって、キャッシュカードそのものに暗証番号を書いているのとほとんど同じ、いやむしろもっと危ないかもしれませんが、こっちの危機意識はあるんですよね。

スマホでできることをあまり理解してないからこうなっちゃうのかもしれません。

 

他にもあります。

国がとにかく普及させたいマイナンバーカード。

私は随分前に取得済みで、便利ですし普及してほしいと思っていますが、パスワード関係はグダグダです。

 

まず、マイナンバーカードに付随するパスワードが4つもあります

  1. 署名用電子証明書用(英数字6文字以上 16 文字以下)
  2. 利用者証明用電子証明書用(数字4桁)
  3. 住民基本台帳用(数字4桁)
  4. 券面事項入力補助用 (数字4桁)

それぞれの名前が難しそうだし、そもそもなんで4つもあるのか。

そして、2,3,4は同じ番号でも違う番号でも良いそうで、じゃあせめて2つでよいのでは、と思います。

 

面倒だと思ったのはここですが、パスワードの危機意識としてどうかと思ったのは、これです。

f:id:famo_seca:20220318100613j:plain

 

役所でもらった、パスワードを記載する紙です。

多分これは、役所にとっては親切心で渡しているのだと思いますが、これはイケてません。

 

ちなみに、このパスワードのぼかしがかかっているところは、役所の人が書いたのではなく、自分で書くのです。

つまり、これに書いて忘れないようにしてくださいね、ということ。

 

だから、その管理方法を勧めるのがのがまずいんです。

 

 

日本のIT、大丈夫なんでしょうか。

先日もe-Taxがサーバーダウンしたし。

 

せめて今後の日本を担う子どもたちに対する教育だけはちゃんとしてほしいと思います。