松本人志の「薬物厳罰化」発言が何から何まで間違っている理由(原田 隆之) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
影響力のある松本人志さんのコメントなので、その方面のプロからも鋭いツッコミが入りますね、、、(普段はボケなのに・・・失礼)
でも、確かに薬物使用厳罰化に関しては慎重になったほうが良いと思います。
罪に対して罰を与える。
その罪に対して、「なぜ」そのくらいの罰を与えるのか、という根拠が必要ですよね。
本題からはちょっとそれます。
例えば、被害者がいるような罪を考えてみます。
車で人をはねて、死亡させてしまった、という場合は、被害者がいます。
この場合、故意でなくても過失致死で罪になります。
さあ、この場合どのくらいの罰を与えるべきなのか。
ここでよくある間違いが、被害者が受けた被害と同等の罰を与えるべき、というものです。
この考えだと、過失だろうと故意だろうと、どんな場合も人が死んだら同等の罰、つまり死刑です。
でも、間違って人をはねた加害者と故意に人をはねた加害者と、同じ罰で良いはずもないでしょう?
だから、罪の重さと罰の厳しさはおおまかにしか比例しない、ということです。
話を戻して、薬物です。
薬物の場合は、直接の被害者がいません。
でもこれは法律上れっきとした犯罪です。
上の間違いのように、受けた被害と同等の罰を、という考え方をしてしまうと、被害者がいないんだから、罰を与えなくてよいことになってしまいます。
でも、罪を犯したら必ず罰を受けないといけない、という原理からすると、薬物使用が罪である以上、それは罰を受けるというところまでが既定です。
罰を受けなくてはいけないことはわかったと。
では、どのくらいの罰を与えるのか、ということになりますね。
で、どのくらいの罰を与えるのかを考える基準は、その人が罪を償い、反省し、更生するのに適切な量、ということになります、、、まあふわっとしてますよね。
だから、過去の判例を参考に決める、と。
それ以外に、抑止効果を狙う、というものもあります。
例えば、飲酒運転による事故は厳罰化により明らかに減りました。
かといって、どんな罪に対しても厳罰化すれはそれが抑止になり、犯罪が減るかの言えば、そういうことでもない、ということです。
特に薬物のような依存や心の問題に大きく関わる犯罪は、むしろ逆効果になることもあります。
こういうときには、やっぱりしっかりとした統計や科学的根拠を活用すべきですよね。
罪と罰の関係は、シンプルなように見えて意外と複雑です。
繰り返しますが、おおまかにしか比例させない方が良い。
被害者側にたてば、こういった冷静なロジックを考える余裕なんてなくて、懲罰感情にあふれます。
これに従いすぎると、傷害事件では、罰として加害者を殴って良い、交通事故で人をはねたら、罰として車に轢かれなければいけません。
殺伐としますし、とっても健全な社会とは言えません。
一方、被害者がいない犯罪の場合は懲罰感情の出処がないかわりに、罰によって抑止を期待しますが、その効果は罪の種類によって違います。
最終的には、秩序ある社会を維持するために法、罪、罰という構造があります。
法は法律家のものだけではなく、私達庶民にも関わってきます。
そして、世論が法や罪、罰のあり方、改正に影響することもあるので、庶民である私達も慎重に、丁寧に議論していきたいものですね。