NHKにはいろんな問題がありますが、このシリーズは好きで、録画していつも見ています。
この本は有名な本ですが、私は読んだことがありませんでした。
最近書かれたんじゃないか、と思うくらい現代を言い当てていますね。
第一次大戦を予想したハーバート・ジョージ・ウェルズみたい。
この本の中では、主人公の妻がテレビの世界に浸りきりになり、考えることをやめた、ということが描かれているようです。
これを現代に当てはめれば、やっぱりSNSでしょう。
家族や友人が目の前にいるにも関わらず、SNSを見続ける、という状況はもう珍しくありません。
テレビとSNSは、少し違います。
テレビは完全に受動、SNSは双方向、つまりコミュニケーションツールにもなりえます。
しかし、タイムラインに流れてくる文字や画像、動画をただ見ているだけ、という場合はテレビと大差なく、そういう人も結構多いと思います。
私は決して若者という年齢ではありません。
だからなのか、生のコミュニケーションとバーチャルのコミュニケーションを比較したら、やっぱり生の方が繋がりが強くて深い、と考えがちです。
生とバーチャルに全く差がないのならば、コミュニケーションの質は中身のみになりますね。
そして、目の前に話せる相手がいるのにSNSを見続けるのは、生のコニュニケーションが、バーチャルの、双方向ですらない見ているだけのタイムラインに劣っている、ということです。
しかも、おそらくそれを無意識に選択しています。
私は自己責任的な考えの人間なので、相手が自分と話すよりも、SNSを見るという選択をした以上、それを自分は受け止めるべきだと考えます。
「人志松本のすべらない話」で繰り広げられるようなトークであれば、そんなことにはならない。
だから、目の前でSNSを見られている方にも責任があります。
まあ、トークのプロと比較は極端ですけどね。
◆
相手が自分の子供ならば、注意します。
子供に対する躾は、法律や最低限のマナーだけでなく、「自分の子供にはこうなってほしい(こうなってほしくない)」といった主観要素が入るのが当然だと思うからです。
しかし、大人だった場合は、これを注意するのは無理です。
違法でもないし、ここでマナーを武器にするのも変です(根拠がない)。
華氏451度で、妻は最後ですらテレビを選択しました(だったと思います)。
さて、現実ではどうすればよいのでしょうかね。