日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

生のコミュニケーションとSNS

名著110「華氏451度」:100分 de 名著

 

NHKにはいろんな問題がありますが、このシリーズは好きで、録画していつも見ています。

 

この本は有名な本ですが、私は読んだことがありませんでした。

最近書かれたんじゃないか、と思うくらい現代を言い当てていますね。

第一次大戦を予想したハーバート・ジョージ・ウェルズみたい。

 

この本の中では、主人公の妻がテレビの世界に浸りきりになり、考えることをやめた、ということが描かれているようです。

これを現代に当てはめれば、やっぱりSNSでしょう。

 

家族や友人が目の前にいるにも関わらず、SNSを見続ける、という状況はもう珍しくありません。

 

テレビとSNSは、少し違います。

テレビは完全に受動、SNSは双方向、つまりコミュニケーションツールにもなりえます。

しかし、タイムラインに流れてくる文字や画像、動画をただ見ているだけ、という場合はテレビと大差なく、そういう人も結構多いと思います。

 

私は決して若者という年齢ではありません。

だからなのか、生のコミュニケーションとバーチャルのコミュニケーションを比較したら、やっぱり生の方が繋がりが強くて深い、と考えがちです。

 

生とバーチャルに全く差がないのならば、コミュニケーションの質は中身のみになりますね。

そして、目の前に話せる相手がいるのにSNSを見続けるのは、生のコニュニケーションが、バーチャルの、双方向ですらない見ているだけのタイムラインに劣っている、ということです。

しかも、おそらくそれを無意識に選択しています。

 

私は自己責任的な考えの人間なので、相手が自分と話すよりも、SNSを見るという選択をした以上、それを自分は受け止めるべきだと考えます。

「人志松本のすべらない話」で繰り広げられるようなトークであれば、そんなことにはならない。

だから、目の前でSNSを見られている方にも責任があります。

まあ、トークのプロと比較は極端ですけどね。

 

 

相手が自分の子供ならば、注意します。

子供に対する躾は、法律や最低限のマナーだけでなく、「自分の子供にはこうなってほしい(こうなってほしくない)」といった主観要素が入るのが当然だと思うからです。

 

しかし、大人だった場合は、これを注意するのは無理です。

違法でもないし、ここでマナーを武器にするのも変です(根拠がない)。

 

華氏451度で、妻は最後ですらテレビを選択しました(だったと思います)。

さて、現実ではどうすればよいのでしょうかね。